天風録 『長崎の誓い』
25年8月10日
													 畳七万枚分およそ三万五千坪―。日本被団協代表委員も務めた故山口仙二さんは、長崎原爆が焼いた死傷者の皮膚の総面積を身尺度で推計し、著書に記す。自らの焼け落ちた耳や焼けただれた上半身の皮膚も含まれていよう▲やけどで引きゆがんだわが身をさらし、核兵器による死と苦しみを繰り返してはならぬと訴え続けた。「ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と締めくくった1982年の国連軍縮特別総会での演説は、世界に戦火が続く今とりわけ重く響く▲きのうの長崎平和祈念式典で鈴木史朗市長も平和宣言に引いていた。核兵器の使用を繰り返してはならないのは当然のこと、背景にある戦争をも否定するメッセージだと思いたい▲「世界最後の原子野たらしめたまえ」。石破茂首相が引いたのは原爆で妻を失い、病床にあった故永井隆博士の言葉だ。その原子野で生まれた博士の不戦の思いをどこまで知っていたか▲博士は遺訓をつづった「いとし子よ」で、愛児2人に平和憲法の意義を説き、こう呼びかける。「どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと『戦争絶対反対』を叫び続け、叫び通しておくれ!」と。原点の叫びを改めて胸に刻む。
(2025年8月10日朝刊掲載)
                        
                    
		
                    
                (2025年8月10日朝刊掲載)








