『生きて』 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表 森滝春子さん(1939年~) <8> 60年安保
25年8月19日
1人で上京 デモで命拾い
≪1957年、広島大教育学部に進学する≫
父が文学部教授で姉も広島大生。私自身は「ずっと続けられる仕事に就き、自立した人間に」と進路を選びました。
当時熱心に読んだのが朝日新聞の連載小説「人間の壁」(石川達三作)。佐賀県の教育労働争議が題材です。皆実分校(後の教養部)の頃は学生自治会で活動し、公立学校への勤務評定導入に反対する運動にも加わりました。軍国教育の否定が戦後の出発点だったはずが、国家主義による教育統制に逆戻りしかねない、と危機感を抱きました。敗戦後にA級戦犯容疑で拘束された岸信介が復権し、首相に上り詰めていた時期です。
≪60年、日米安全保障条約の改定問題で国内は騒然となる。デモ隊が国会前で警官隊と衝突した6月15日、東京にいた≫
安保闘争は、近所の人も商店街で改定反対のデモ行進をしていたほど国民運動としては空前の規模でした。私は「平和憲法を持つ日本が米国と共に戦争ができる国になってしまう」との怒りをたぎらせ、1人で上京しました。教育実習の時期でした。
デモの規模に圧倒されながら、視界に入った「女子美術大」ののぼりに付いて国会前を周回しました。「正門が開いたぞ」の声とともに、人が中へなだれ込んでいきます。突然、こん棒を持った機動隊が出てきました。逃げ場はふさがれ、上から人が折り重なってきます。私はあおむけに倒れ込みました。
すると誰かが「僕の足につかまりなさい!」と叫ぶのです。必死にしがみつきました。記憶が途絶え、気がついた時は病院のベッドの上。川崎市に住む兄と姉が駆けつけていました。圧死こそ逃れましたが、腰に肉が裂けるほどの擦り傷を負い、大学卒業は1年遅れました。
死亡した東京大生の樺(かんば)美智子さんがすぐ近くにいたようです。私もそうなっていたかも―。挫折感と、「でも前に進まなければ」という思いが残りました。
(2025年8月19日朝刊掲載)