[被爆80年] 亀山での疎開 児童の不安 紙芝居に 安佐北区の浜田さん 地元公民館で展示
25年8月20日
原爆が投下された80年前の8月6日の前後、広島市中心部から当時の安佐北区亀山地域に集団疎開した児童を描いた紙芝居を、地元の画家浜田昭法さん(83)が完成させた。当時の地域の暮らしぶりや子どもたちが抱えた寂しさ、不安を今に伝える。今月末まで亀山公民館のロビーで展示している。(金刺大五)
紙芝居は縦27センチ、横39センチで29枚。横川駅(現西区)から列車に乗り込み涙を浮かべて親元を離れる場面、寺や宿舎で勉強に励みながら農作業を手伝ったり、配給米を運ぶために荷車を引いたりする様子を紹介している。
亀山地域にも爆音が響いたあの日。山の向こうにきのこ雲が見え、しばらくして大けがを負った人々が通りを歩く姿も描いている。「市内で何が起こったのか分かりません」と動揺する子、終戦後も親が迎えに来ない子のつらさも、せりふや絵で表現した。
郷土史も研究する浜田さんによると、亀山地域では2カ所に計約80人が疎開したという。市中心部の小学校に残る児童の手記を基に、地域で当時を知る人の話も聞き、10年ほど前から紙芝居の構想を練った。せりふ付きの作品は今夏に完成。7月下旬に同公民館であった「平和のつどい」で地元の子どもたち約40人に披露した。
元美術教諭で、50年ほど前から二科展を中心に作品を発表してきた浜田さん。紙芝居は、原爆の威力を調べるために米軍機が投下し、亀山地域の住民をおびえさせた測定装置付き落下傘を題材にした作品に続き、2作目となる。「今の子どもたちが同じ年頃の疎開児童に思いをはせ、二度と戦争があってはならないと胸に刻まれれば」と願う。
(2025年8月20日朝刊掲載)
紙芝居は縦27センチ、横39センチで29枚。横川駅(現西区)から列車に乗り込み涙を浮かべて親元を離れる場面、寺や宿舎で勉強に励みながら農作業を手伝ったり、配給米を運ぶために荷車を引いたりする様子を紹介している。
亀山地域にも爆音が響いたあの日。山の向こうにきのこ雲が見え、しばらくして大けがを負った人々が通りを歩く姿も描いている。「市内で何が起こったのか分かりません」と動揺する子、終戦後も親が迎えに来ない子のつらさも、せりふや絵で表現した。
郷土史も研究する浜田さんによると、亀山地域では2カ所に計約80人が疎開したという。市中心部の小学校に残る児童の手記を基に、地域で当時を知る人の話も聞き、10年ほど前から紙芝居の構想を練った。せりふ付きの作品は今夏に完成。7月下旬に同公民館であった「平和のつどい」で地元の子どもたち約40人に披露した。
元美術教諭で、50年ほど前から二科展を中心に作品を発表してきた浜田さん。紙芝居は、原爆の威力を調べるために米軍機が投下し、亀山地域の住民をおびえさせた測定装置付き落下傘を題材にした作品に続き、2作目となる。「今の子どもたちが同じ年頃の疎開児童に思いをはせ、二度と戦争があってはならないと胸に刻まれれば」と願う。
(2025年8月20日朝刊掲載)