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社説・コラム

『潮流』 広島不屈のモノ語り

■報道センター経済担当部長 山瀬隆弘

 かれこれ10年余りになる。8月5日の深夜から翌日未明にかけて、広島市中区の平和記念公園を訪ねている。今年は6日午前1時半ごろ、原爆慰霊碑に手を合わせた。

 静寂の中、毎年想像する。80年前のあの日の前夜。市民はどのように過ごしていたのだろう。翌朝の悲劇など考えようもなかったに違いない。

 例年より長く目を閉じていた気がする。戦後80年の夏に合わせ、中国経済面で「広島不屈のモノ語り」を連載しているからかもしれない。そこには広島経済界の幾つもの「8月6日」が登場する。

 東洋工業(現マツダ)の社長は70歳の誕生日だった。間一髪で難を逃れたが、爆心地から約5キロの工場は止まった。萬国製針(西区)の工場は倒壊。だが無事だった機械を整備し、翌年に事業を再開した。佐々木商店(現オタフクソース、西区)の建物も全壊した。創業者たちは食堂経営に打ち込んで資金を集め、再興を果たした。

 先人の努力で、中四国地方最大の経済規模の地域に育った。ただ、もうけだけではない。11年前に取材した競技用ボール製造のミカサ(安佐北区)の佐伯武俊前社長も言っていた。「国際交流を育むスポーツの道具を作る。こんなにうれしいことはない」「笑顔で練習に打ち込み、国が違う人とも試合を楽しむ。常にそんな光景を思い描いている」と。経済人に平和が根付いている。

 6日の仕事終わり。いつもの帰り道で自転車をこいだ。エディオンピースウイング広島(中区)からサッカー観戦の歓声が聞こえる。土手道をジョギングするカップルを追い抜く。被爆後、戦後という80年間の物語を経て編まれた平和な日常に、感慨がこみ上げた。

(2025年8月21日朝刊掲載)

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