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連載・特集

『生きて』 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表 森滝春子さん(1939年~) <9> 父の苦悩

重い問い受け止め座り込み

 ≪自身の高校、大学時代とその直後は、父市郎にとっても苦悩を深めた時期だった≫

 父は周囲から請われ、原水爆禁止運動と被爆者運動のあらゆる訴えの先頭に立っていました。原爆被害に対する国家補償としての被爆者援護法を求め、たびたび上京。1957年には、英国による水爆実験計画に抗議し、日本原水協の「平和使節」として米国、英国、旧ソ連を行脚しています。歯止めなき核軍拡の冷戦期に、被爆者が自らの体験を国際世論に直接届けた草創期の活動でした。

 ≪だが原水爆禁止運動は、60年安保を挟み混迷を深める≫

 日本原水協は、社会党系がソ連を含めた「いかなる国」の核実験にも反対する一方、共産党系は社会主義国の核実験には対米防衛的な面があるとみるなど、激しく対立しました。

 ついに分裂となった63年の原水爆禁止世界大会の開会総会。私も会場の平和記念公園にいました。「日本国民は…どこの国のどんな核実験にも核武装にも絶対に反対だと叫ばないではいられなかったのであります」。基調報告を読み上げる父は、怒号を全身で受けていました。

 この頃から既に父が貫いていたのが、核実験抗議の座り込みです。62年4月、一時は広島大に辞表を出し、原爆慰霊碑前に12日間座りました。ある日、前を通った少女に「座っとっちゃ止められはすまいでえ」と言われたそうです。重い問いを受け止めた末、生涯に500回以上、続けています。

 座り込みの原点には、ガンジーの非暴力・不服従への傾倒と座禅の習慣があるのだと思います。父にとって義父の西晋一郎が結成した広島大仏教青年会で活動しながら、竹原市の座禅道場にも通っていました。

 座禅は「個」が内省する営みです。その「個」は政治対立を超えてきっとつながる。「精神的原子の連鎖反応が物質的原子の連鎖反応に勝たねばならぬ」。父が座り込みに込めた決意の言葉は、私の励みです。

(2025年8月21日朝刊掲載)

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