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社説・コラム

社説 [地域の視点から] 原爆資料館開館70年 ヒロシマ発信 不断の努力を

 広島市中区の原爆資料館がきのう開館から70年を迎えた。熱線や爆風にさらされた被爆遺物や犠牲者の遺品などの資料を収集保存し、研究や展示を通して被爆の実情を広く伝えてきた意義は大きい。

 ひとたび核兵器が使われればどうなるか。同館の被爆資料は、きのこ雲の下にいた人間の目線から80年前の惨禍を無言で語りかけ、見る者の心を揺さぶる。被爆者の老いが進む中、その役割はますます重くなっているといえよう。

 ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃などで国際情勢は緊迫し、核使用さえ懸念される。多くの人が危機感を共有しているのだろう。

 累計の入館者数は6月末で8千万人を優に超える。訪れる人は増え続け、昨年度は開館以来初めて年間入館者数が200万人を超えた。その3分の1は外国人である。

 同館の礎となったのは地質学者で初代館長を務めた故長岡省吾氏が集めた被爆瓦などの資料である。収集には多くの市民が協力し、開館を後押ししたという。被爆地市民の後世に伝えようとの意思を、改めて確認したい。

 同館本館は2019年にリニューアルオープンし、遺品など「実物資料」の展示が軸となっている。17年に改修した東館は最新の映像技術を駆使し、タッチパネルなどで原爆を学べる構成である。

 開館以来、幾度かのリニューアルを経て今に至るが、そのたび「生々しさが失われた」との声や、軍都だった歴史を伝える展示が不十分だといった指摘もある。

 原爆を歴史の文脈から切り離すのではなく、戦前からの植民地主義や軍国主義、命を奪う戦争の本質など、原爆をもたらした背景も含め、学べる場であってほしい。

 混雑緩和も大きな課題だ。チケットのオンライン販売などで手を打つが、さらなる周知が必要だろう。

 修学旅行生が立ち止まって見ることができないとの声もあり、市は東館地下に平和学習展示スペースを設ける方針だ。28年度見学開始を目指し、検討会議の議論が始まった。

 第1回会議では、むごい被害を伝える写真などの子どもへの心理的影響も論点になったという。子どもの発達に考慮しつつ、核兵器の非人道性や残虐性がしっかり伝わる内容にせねばならない。

 会議は手続きをすれば、傍聴もできる。市民がしっかり声を届けるなど主体的に関わっていく必要もあろう。

 広島市の「平和記念」を冠する施設や行事の基盤となったのは、1949年8月6日に施行された広島平和記念都市建設法である。

 第6条は「広島市の市長は、その住民の協力及び関係諸機関の援助により、広島平和記念都市を完成することについて、不断の活動をしなければならない」とする。ヒロシマの記憶を伝え続けるため、市長はもとより市民にも不断の努力が求められる。

(2025年8月25日朝刊掲載)

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