「広島の風景、忘れられない」 子どもの原爆体験の絵本に文章寄せた2人対談 児童文学作家あまんさんと詩人ビナードさん
25年8月23日
「投下で命救った。ウソだと気づいた」
原爆を体験した子どもたちの声を集めた絵本「1945年8月6日 あさ8時15分、わたしは」=写真=が童心社から刊行された。同書に文章を寄せた児童文学作家のあまんきみこさん(94)と詩人のアーサー・ビナードさん(58)が対談、広島や戦争への思いを語り合った。
1967年に出版された「わたしがちいさかったときに」から、6人の子どもたちの作文を再び掲載。あまんさんやビナードさんらの文章を加えた。
あまんさんは、広島に原爆が投下された日は中国東北部の大連に住んでいた。同書には、47年に大連から日本に引き揚げ、大阪に向かう列車の中で見た広島のことを書いた。
何もなくなってしまった街を見た衝撃を「夜明け前のあまりにも荒涼とした広島の風景は、わたしの魂の深いところに寒ざむとしずんでいます」と描写。その風景と共に、母が広島の人々を思い、手を合わせていた姿も思い出すという。
あまんさんの著書には、戦争の悲惨さを伝えた「ちいちゃんのかげおくり」がある。ビナードさんが「広島での強烈な体験が、あまんさんの作品にも影響しているのでしょうか」と問うと、あまんさんは「若い頃は嫌なことや忘れたい記憶は捨てたいと思っていた。けれど、本当は思い出は全部持っていて、広島の風景も忘れられない。子どもの頃の戦争のことを書かずにはいられなかった」と答えた。
一方のビナードさんは米国出身で、広島在住。米国の学校の授業では、原子爆弾を広島と長崎に落としたおかげで戦争が終わり、たくさんの人々の命が救われたと習った。その後広島を訪れ、それは「ウソだと気づいた」とつづった。
自らの経験から「学校の教育は子どもを国の方針に従うように育てるが、戦争は国民が国にだまされた時に始まってしまう。若い人たちがだまされないよう、自分たちで気付けるようになることが必要だ」と語る。
戦争なき世界願う手記 原爆で父母失った小川さん
同書には、5歳の時に原爆で父母を失った小川俊子さん(85)=千葉県=も新たに手記を寄せた。今回の本に作文が再掲された一人。被爆前の暮らしを懐かしみつつ、不穏さを増す世界情勢を憂いている。
小川さんの一家は当時、広島市中心部の堀川町(現中区)で時計店を営んでいた。父の長野明さんが開いた店で、職人を目指す人たちも出入りし、にぎやかだった。
5人きょうだいの末っ子だった小川さん。仕事中の父に近づくと、明さんは正座をあぐらに変えて脚の中に座らせてくれた。母の康恵さんは家事で忙しくしていた姿が記憶に残る。庭には母の好きなキキョウがたくさん植えられていた。 小川さんは1945年3月、姉、兄と愛媛県へ疎開。あの日、広島には父母と兄1人がいた。母は家で柱の下敷きとなり即死。父と兄には8月末、疎開先で再会した。「もう大丈夫」と抱っこしてくれた父は翌日、高熱を出し、数日後に亡くなった。「あれは地獄だったよ」とつぶやいて。
小川さんが体験をつづったのは小学5年生の頃。以来、約70年ぶりに筆を執った。毎朝、世界の戦況を伝えるニュースに胸がふさぐ。「願うのは戦争のない世界。それだけ」(福田彩乃)
(2025年8月23日朝刊掲載)