[記者×思い] 戦後80年 戦火のない世界追求を 岩国総局 大平健幹(たけき)
25年8月26日
幼少の頃から率先して墓掃除を買って出ていた。25歳。
太平洋戦争中に戦死した曽祖父の呉市内にある墓誌には「昭和19年9月10日、南洋群島大鳥島にて戦死、27歳」と記されている。石碑に刻まれた年齢に近づくにつれて、故人のことを考える回数が増えていく。
5月、太平洋戦争末期の激戦地として知られる硫黄島(東京都小笠原村)を取材で訪れたのは何かの縁だろうか。島の慰霊碑にも足を運んだ。曽祖父と同様、太平洋の離島で命懸けの戦いに身をささげた犠牲者たちに思いをはせた。
硫黄島では、米軍岩国基地(岩国市)の空母艦載機の訓練を取材した。参加した戦闘機は、滑走路を空母の甲板に見立て、車輪が地面に着いた直後に離陸する「タッチ・アンド・ゴー」を繰り返し、島内にごう音を響かせていた。
在日米海軍司令部の作戦・計画・演習参謀長補のウィリアム・ファロン大佐は取材に対し、「広い海の中での空母の存在はとても小さなものであり、島での演習は再現性が高い」と訓練の重要性を強調した。
一方で、パイロットの参加人数や参加機数などについては明言を避けた。「軍事機密」を理由とするが、6~8年前には詳細を明らかにしていた。ここ数年で、世界の安全保障環境が一層厳しさを増していることを実感させられた。
世界を見渡すと紛争や戦争が後を絶たない。ロシアのウクライナ侵攻や、イスラエルのパレスチナ自治区ガザへの攻撃が続いている。一刻も早く各地の武力紛争がやみ、新たな火種が生まれないことを切に願っている。
戦争で命を落とした曽祖父が、何を願って戦いに身を投じたかは明らかではない。ただ、戦後80年の今なお世界中で戦火が絶えない現状を、天上から憂いているだろう。先の大戦の原因や被害の悲惨さを世界全体でもう一度共有できないだろうか。故人もそれを願っている気がする。
(2025年8月26日朝刊掲載)
太平洋戦争中に戦死した曽祖父の呉市内にある墓誌には「昭和19年9月10日、南洋群島大鳥島にて戦死、27歳」と記されている。石碑に刻まれた年齢に近づくにつれて、故人のことを考える回数が増えていく。
5月、太平洋戦争末期の激戦地として知られる硫黄島(東京都小笠原村)を取材で訪れたのは何かの縁だろうか。島の慰霊碑にも足を運んだ。曽祖父と同様、太平洋の離島で命懸けの戦いに身をささげた犠牲者たちに思いをはせた。
硫黄島では、米軍岩国基地(岩国市)の空母艦載機の訓練を取材した。参加した戦闘機は、滑走路を空母の甲板に見立て、車輪が地面に着いた直後に離陸する「タッチ・アンド・ゴー」を繰り返し、島内にごう音を響かせていた。
在日米海軍司令部の作戦・計画・演習参謀長補のウィリアム・ファロン大佐は取材に対し、「広い海の中での空母の存在はとても小さなものであり、島での演習は再現性が高い」と訓練の重要性を強調した。
一方で、パイロットの参加人数や参加機数などについては明言を避けた。「軍事機密」を理由とするが、6~8年前には詳細を明らかにしていた。ここ数年で、世界の安全保障環境が一層厳しさを増していることを実感させられた。
世界を見渡すと紛争や戦争が後を絶たない。ロシアのウクライナ侵攻や、イスラエルのパレスチナ自治区ガザへの攻撃が続いている。一刻も早く各地の武力紛争がやみ、新たな火種が生まれないことを切に願っている。
戦争で命を落とした曽祖父が、何を願って戦いに身を投じたかは明らかではない。ただ、戦後80年の今なお世界中で戦火が絶えない現状を、天上から憂いているだろう。先の大戦の原因や被害の悲惨さを世界全体でもう一度共有できないだろうか。故人もそれを願っている気がする。
(2025年8月26日朝刊掲載)