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連載・特集

緑地帯 明石英嗣 岡山の文学者が伝える戦後80年⑤

 笠岡市出身の木山捷平(1904~68年)は、中学時代から文学に興味を抱き、太宰治らと同人誌「海豹」を創刊。小説集「河骨」が第11回芥川賞候補になるなど、作家活動が軌道に乗りかけていた頃、太平洋戦争に突入した。44年、新境地を開拓すべく満州(現中国東北部)へ渡った捷平は、45年8月上旬、特攻部隊に配属される。だが、すぐに終戦を迎えたため、九死に一生を得た。

 終戦後、捷平は約1年間、新京(現長春)で難民として生活した。当時の苦難に満ちた生活ぶりや心情を、長編私小説として62年に発刊したのが「大陸の細道」で、芸術選奨文部大臣賞も受賞している。本作の帯には、「戦争と一日本人」というタイトルとともに、次のような言葉が書かれている。

 「ただ一度だけ、無性に小説が書きたくてたまらなかったことがある。敗戦後、私は満州に軟留されていて、はたして日本に帰れるかどうかもわからない時であった。が、その時は小説など書く暇はなかった。(中略)その本が出れば、私のただ一つの長篇ということになる」

 終戦間際のソ連参戦や、敗戦色が濃厚な中で召集されるなど、捷平が自らの体験談を著した文学作品であり、歴史資料としても非常に貴重だ。ひょうひょうとしたユーモアと、つらい現実を内包しつつも悲愴(ひそう)感を感じさせない木山文学だが、作中のソ連製戦車などの描写は、今も続くウクライナ戦争の光景と重なり、悲愴感が漂う。(吉備路文学館館長=岡山市)

(2025年8月26日朝刊掲載)

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