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[表現者の戦後・被爆80年] 作家 池澤夏樹さん(80) 平和はつくり続けるもの 常に意識

「後戻り」できない文明の危うさ

 時代を先駆けるような小説を書いてきた作家の池澤夏樹さん(80)。サスペンスやスパイ小説も手がけるほか、詩や翻訳、評論など幅広いジャンルで活躍。理科系の知識と詩情が合わさった明晰(めいせき)な文体で、社会や政治など重厚なテーマを積極的に扱う「社会派」だ。1945年7月7日生まれのその人生は、日本の戦後の歩みと重なる。(仁科裕成)

 ≪終戦間近、作家の福永武彦さんと、詩人の原條あき子さんの長男として北海道帯広市で生まれた。朝鮮戦争が勃発した翌年、5歳の時に上京。連合国軍総司令部(GHQ)による占領下の東京で急速に変化する社会の動きを意識した。≫

 生まれた1週間ほど後に帯広で空襲があった。家が100軒以上も焼け、亡くなった人の中に生後8カ月ぐらいの子どもがいたらしい。日付や場所が違ったらぼくだったかもしれない。

 東京では夜にゴーンという音がするので親に何って聞くと、米軍の砲撃演習の音だと言う。トレーラーがすごく大きな戦車を積んで移動しているのも見た。母親はGHQの検閲や「PX」(進駐軍専用の売店)の仕事をしていた。そうした戦争の最後の余波の中で幼少期を過ごした。

 日本はその後、「逆コース」によってだんだんと戦争のできる国になった。少しずつ豊かになるにつれて戦争の怖さが薄れていった。戦争に近づく力と、一生懸命とどめようとする力の関係が延々と続いたのがぼくにとっての80年であり、この時代だった。

 ≪詩や翻訳などで執筆活動を開始し、30歳の時にギリシャに移住する。以後、沖縄県やパリ郊外、北海道などへ移り住み、現在は長野県在住。大都市ではない「辺境」での暮らしは、作家に新たな視点をもたらした。≫

 20代後半にひょいっと海外に出てみた。最初はミクロネシアの島。そこからロンドンもニューヨークも行かないでインドやニューカレドニアなどを旅した。その果てにギリシャで約3年暮らした。

 明治以降、日本人はいつも「日本は小さな国」と言ってきたが、それは列強と比べたから。じゃあ本当に小さな国から日本はどんな風に見えるのだろう。日本がどれほど脅威であるか、視点をひっくり返して書いたのが、「マシアス・ギリの失脚」(93年)。物事を相対化して見るのがぼくの原理の一つ。

 約10年住んだ沖縄では、「帰りそびれた観光客」と「勝手な特派員」の気持ちでいた。沖縄にいるといかに政府が米国に弱く、他国に強気でいるのかが見えた。東京からは東京しか見えない。沖縄が大好きで行ったら、そのことに気付いた。さまざまな土地での見聞が小説の素材になった。

 ≪90年代のエッセー集「楽しい終末」では、核兵器や原子力発電の脅威などを検証した。出口の見えない状況に悲観的になり、一時、小説が書けなくなった。だが、次々に旅をして希望を見つけ出す。2000年代には、ベトナム戦争中の沖縄・米軍嘉手納基地を巡る人々を描いた「カデナ」(09年)、瀬戸内海の島々を舞台に日本政府の原爆開発をテーマにした「アトミック・ボックス」(14年)などを発表した。≫

 小説には何らかの形で希望がある。登場人物に共感や愛があるから、光が見えるようにして終わりたい。一方、「楽しい終末」は楽観的な逃げ道をふさいで社会問題を誠実に考えた。核問題やフロンガス、エイズ、砂漠化…。まさか日本で原発事故が起きるとは思っていなかったが、結果的に当たってしまった。

 科学の力が増大する中で、それをコントロールする人間の倫理力は変わっていない。新しいものを提案して面白いから飛びつき、危険だと分かった時には後戻りできない。それは文明がもつ根源的な危うさ。「核兵器を使うぞ」という脅しまであるが、とんでもないことをする人まで含めての人間だ。

 ぼくは国と対決するつもりで小説を書いてきた。国には力があり過ぎる。常に監視して、ブレーキをかけないと危なくなるというのがぼくの国家観。だからその力に逆らう人たちを書く。ただ、議論の片方だけを書くとプロパガンダで終わってしまう。一つの思想に奉仕するのではなく、フリーな立場なら相手の言うことも書ける。両論書くことで議論を深めて何が争点なのかまで書き出せる。それが文学であり、小説の強み。

 ≪1982年、原爆開発を指揮した物理学者オッペンハイマーの評伝を翻訳。被爆50年の8月6日には、初めて広島市を訪れ、核兵器を巡るシンポジウムに参加した。2022年には、画家の黒田征太郎さんと被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)を題材にした絵本「旅のネコと神社のクスノキ」を出版。長年、ヒロシマに関心を寄せてきた。≫

 黒田さんは、次々に絵を描く、手から絵が生えているような人。広島をきっかけに「沖縄も」ということで、黒田さんとの共作で平和のための絵本が3冊できた。平和というのは消耗品。放っておくと減ってしまう。だから常にどこかでつくり続けないといけない。日本で生産量が一番多いのが広島・長崎であり沖縄。これまですばらしい運動をしてきた。

 平和のためには常に新しいことを考え、方法を更新していかなければならない。「反戦平和」という前提がない人たちにも深く刺さるように。どう表現してアピールすれば伝わるか。それを考えるのがぼくたちの仕事。ぼく自身、何を書くにしても平和の問題はついて回ると思う。作品のバックグラウンドでしかないとしても、それと無関係なところでは書かないんじゃないかな。

いけざわ・なつき

 埼玉大理工学部物理学科中退。1984年「夏の朝の成層圏」で作家デビューし、88年「スティル・ライフ」で芥川賞。「マシアス・ギリの失脚」で谷崎潤一郎賞、「楽しい終末」で伊藤整文学賞など。「池澤夏樹個人編集 世界文学全集」「同 日本文学全集」の編さんで毎日出版文化賞。現在、文芸誌で「天路歴程」を連載中。

(2025年8月28日朝刊掲載)

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