[戦後80年] 露の占領 歴史に触れる 広島の中学生 根室で北方領土問題学ぶ
25年8月29日
本土最東端の岬 資料館を訪問
旧ソ連軍が北方領土への上陸を始めて28日で丸80年。広島県内の中学生17人は今月、北海道根室市を訪れて北方領土問題を学んだ。県商工会議所連合会など38団体でつくる北方領土返還要求運動広島県民会議が、問題を身近に捉えてもらおうと派遣した。戦後80年の夏。資料館や漁協を訪れ、今も続くロシアによる占領の状況や歴史に触れた。(岩井美都)
城南(広島市安佐南区)白木(安佐北区)玖波(大竹市)豊栄(東広島市)の4校の生徒が19~22日に根室市を巡った。離島を除く本土最東端の納沙布岬に立ち、歯舞群島や国後島を肉眼や望遠鏡で確認した。近くの展示施設「北方館」では、斉藤貴志館長(60)から日本固有の領土である北方領土の歴史や、ロシアの警備船が巡回し自由に行き来できない現状を聞いた。
滞在中は歯舞群島の勇留(ゆり)島で生まれ、8歳まで過ごした角鹿(つのか)泰司さん(88)=根室市=の講話にも耳を傾けた。白木中2年谷川璃空さん(13)は「目の前にある古里に帰ることができないのは悔しいと思う。広島でも領土問題に関心を持ってもらえるよう周りの人に伝えたい」と話した。
返還への思い伝えた元島民の角鹿さん
「平和解決の道筋 見つけて」
歯舞群島の勇留島で8歳まで暮らし、戦後は北方領土の返還運動に携わってきた角鹿さん。広島県から訪れた中学生17人と1時間半にわたって向き合い、古里の思い出や平和への思いを伝えた。(岩井美都)
角鹿さんは8人きょうだいの次男として勇留島で生まれた。約10平方キロの島は昆布を中心にサケやマスなどの水産資源が豊富で、旧ソ連軍の侵攻前は約500人が暮らしていた。「流氷の上に乗って遊ぶのが楽しかった。大人には随分怒られたけれど」と幼少期を振り返った。
旧ソ連軍は1945年8月28日に択捉島へ上陸。9月3日には勇留島へも上陸した。
「兵隊は島中の家や納屋など、あらゆる場所をあさった。女性は何をされるか分からない。そんなうわさも飛び交った」。角鹿さんの家にも兵隊が入ってきた。声を荒らげ、角鹿さんや4歳下の妹に銃を向けた。「1メートルほどの距離だった。撃たれると思った」。死を覚悟した。侵入者は家中を荒らし、約30分後に万年筆と時計だけを奪って立ち去った。
旧ソ連軍は約2キロ離れた志発(しぼつ)島に駐屯し、3日に1回は勇留島を巡回した。46年4月18日の夜は忘れられない。「ここにいたらどうなるか分からない。今晩逃げよう」と父が告げた。母、姉、妹と小さな漁船に乗り込んだ。魚を入れる「魚槽」に他の島民と入り、すし詰め状態に。幼い子どもが泣くと船長は「わめくな」と怒った。
翌朝、根室の漁港に着いた。魚槽のふたが開き、命が助かったと実感した。「10年後には、島で暮らせるようになる」と思ったが、80年たった今も古里での生活はかなっていない。
返還運動は父が亡くなった76年に始めた。38歳だった。全国各地で「語り部」として講演するなどして半世紀になる。90年代には北方領土の住民との「ビザなし交流」や、元島民と家族による「自由訪問」が始まり、子どもや孫を連れて墓参りした。
しかし、交流事業は新型コロナウイルスの流行で途絶えた。さらに2022年2月には、ロシアがウクライナに侵攻する。自宅のテレビで戦地の子どもが泣く姿を見た。自身の体験がよみがえった。聞き入る生徒に「二度と子どもに同じ体験をしてほしくない。みんなで努力し、銃を使って人を撃つのではなく助け合える社会をつくってほしい」と語った。
「古里の歴史が忘れられないよう自分の体験を若い世代に伝え、返還への思いを託したい」と考える角鹿さん。「ロシアを憎む気持ちもあるが、それだけではいけない。何年かかってもいい。今住んでいる人々とともに平和に解決する道筋を若い世代に見つけてもらいたい」と願い続ける。
北方領土
北海道東沖の択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の総称。面積は計約5千平方キロ。1945年8~9月に旧ソ連軍が侵攻し、占領した。現在もロシアによる実効支配が続く。侵攻時に住んでいた約1万7千人の日本人は脱出、引き揚げを余儀なくされた。56年の日ソ共同宣言では平和条約締結後に色丹島、歯舞群島を引き渡すと明記したが、条約の締結には至っていない。日本政府は全島を「固有の領土」として、返還を求めている。生存する元島民は2025年3月時点で4953人。平均年齢は89歳を超えている。
(2025年8月29日朝刊掲載)