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社説・コラム

『潮流』 永瀬さんという井戸

■論説委員 石丸賢

 取材でパレスチナ自治区ガザ支援の輪をたぐるうち、明治生まれの詩人永瀬清子さんの生家「清子の家」を守り継ぐNPO法人のサイトに行き着いた。即時停戦とともに占領と暴力からの解放を願う絵はがきを販売しているという。

 ことし没後30年を数えた永瀬さんが、現今のイスラエルの無法を見通していたはずはない。

 訳を知りたくて、現地を訪ねた。JR山陽線で最寄りの熊山駅(赤磐市)まで、岡山駅から半時間ほど。モミとカヤの大木のそばに木造2階建ての生家はあった。

 その運営に携わる画家の岸田真理子さんに尋ねると、「パレスチナに限らず、原水爆禁止やハンセン病問題、第三世界、女性と人権、農業など、どれも永瀬さんの世界観にあるもの。いま生きていれば、黙っていないはずですから」。岸田さん自身、その奥深さに引かれ、福山市から移り住んだと言う。

 訪ねた日は、映画「いしぶみ」にちなむアート作品を展示していた。学徒動員中に原爆の犠牲となった広島二中(現観音高)生321人の最期に、綾瀬はるかさんの朗読で迫った映画。展示された321枚の円いコースターが魂を思わせる。裏面には、般若心経の一節が書かれていた。

 隣の座敷ではなぜか、押し入れに永瀬さんの遺影や鈴(りん)が収められている。家の宗旨が江戸時代にキリシタンと並ぶ禁教、日蓮宗の不受不施(ふじゅふせ)派だった名残と聞いた。

 時の権力者から不当に信仰を否定され、耐え抜いた地域の記憶。その系譜も、時代の風向きにふらつかぬ世界観を育んだのかもしれない。

 くめども尽きぬ井戸のような、永瀬さんの世界である。

(2025年8月30日朝刊掲載)

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