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連載・特集

緑地帯 明石英嗣 岡山の文学者が伝える戦後80年⑧

 「アンネの日記」は、第2次世界大戦中、ドイツの占領下にあったオランダの首都アムステルダムが舞台。ホロコーストを避けるため、息をひそめながら、隠れ家で暮らした8人のユダヤ人の生活が日記形式で記されている。作者は、隠れ家の住人の一人でユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクだ。

 岡山市出身の芥川賞作家小川洋子さんは、中学生の時、この日記を文学作品として読み、アンネに憧れて作家となった。アンネの不遇な生涯だけでなく、過酷な状況に置かれながらも描写が美しく、的確でもあった作家としてのアンネへの尊崇の念が小川作品には見て取れる。

 初の書き下ろし長編小説「密やかな結晶」(1994年)は、バラの花や鳥、オルゴールの記憶が消滅し、本の記憶まで消滅してしまう。記憶の消えない人は秘密警察によって隔離され、隔離から逃げ惑う人は、閉ざされた場所で身を潜める。この消滅は、政治的な圧力によるものではなく自然現象とされているが、アンネが受けたユダヤ人への迫害とも重なると思う。

 94年7月、小川さんはアンネの隠れ家や、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所のガス室跡などを訪ねている。以後、アンネに導かれるように「薬指の標本」「小箱」などの作品へと繋(つな)がっていく。

 今、この瞬間、世界中の紛争地域で将来のある子どもたちが犠牲になっている。アンネが生きた時代が繰り返される罪の大きさを自覚してほしい。(吉備路文学館館長=岡山市)=おわり

(2025年8月30日朝刊掲載)

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