『生きて』 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表 森滝春子さん(1939年~) <13> 「余命」と出会い
25年8月30日
55歳で再婚 82歳で婚姻届
≪父市郎が亡くなる1年ほど前、人生の伴走者を得ていた≫
田室武勝は教師で、同じ学校に勤務したこともあります。信頼できる人だとは知っていましたが、まさかこうなるとはね。互いの境遇を語り合う機会があり、共感が芽生えました。
父は大喜びしてくれました。でも私は戸惑いました。闘病中の身ですし、1994年1月に父をみとってからほどなく、乳がんの骨転移も見つかりました。「事実と向き合いたいから」と主治医に説明を求めると、告知は「余命1年」でした。
「1年でも一緒にいよう」と彼は言ってくれましたが、その彼も数年前に妻を亡くしています。2度目の喪失を強いることにならないか―。そんな私の背を押したのは「母さんにとって宝物のような人だよ。分からんの?」という息子の一言でした。55歳で再婚を決めました。私たちの同僚教師ら40人が「実行委員会」をつくり、お祝いパーティーを開いてくれました。
でも、2人で佐伯区役所に出向いて婚姻届を出したのは4年前、82歳の時です。選択的夫婦別姓の導入を待ちましたが、立法は一向に進まない。法律婚でなければ、私が亡くなった時にさまざまな法的手続きが煩雑になり田室が困ると考えました。
直後から痛い目に遭いましたね。口座に年金が入金されないんです。慌てました。「田室春子」に名義変更していなかったためです。改姓する側はこんなに大変。怒りしかありません。
≪治療に専念するため、56歳で早期退職。ところが97年になると自ら反核運動へ踏み出す≫
中国新聞の連載記事「印パ独立50年 核神話の下で」がきっかけです。対立を深めるインドとパキスタンが「潜在的核保有国」といわれた時期。父の信頼が厚かった県原水禁の宮崎安男さんや広島被爆者団体連絡会議の近藤幸四郎さんたちと記事を読みながら「核戦争になったらどうなるか。こりゃあ、広島から伝えに行かねば」と一致しました。
(2025年8月30日朝刊掲載)