天風録 『降伏と再出発80年』
25年9月2日
嫌な役回りを拒む上官たちからお鉢が回ってきたらしい。80年前のきょう、戦艦ミズーリ号での降伏文書調印式に臨んだ一人が江田島生まれの海軍作戦部長、富岡定俊。降伏するぐらいなら死ね―。そうたたき込まれた48歳は「死ぬより辛(つら)かった」と自伝に記す▲連合国からどんな侮辱を受けるのか。身構えたが、艦内は和やかだった。「戦は終わった。恩讐(おんしゅう)は去った」。最高司令官マッカーサーの言葉に涙した。「戦後」だと心が認めたのだろう▲本紙も同じ日、大切な戦後の一歩を踏み出す。原爆で大勢の社員と社屋を失い、他紙に新聞製作を委ねて1カ月弱。郊外に疎開させていた輪転機1台を頼りに、自力での編集や印刷を復活させた▲生き延びた社員も多くが病やけがを抱え、「あすの生命も知れぬ被爆者集団」と社史にはある。それでも被爆地の怒りや悲しみを記録した。戦争に加担した反省と、新聞人の矜持(きょうじ)を糧に▲3日付紙面には調印式の話題や広島復興を訴える社説に加え〈一切の恩讐を超えて〉〈世界平和再建へ〉といった決意も。2週間後に輪転機を台無しにする台風や、占領下の検閲もくぐり抜けていく。80年の歳月と題字の重みに、背筋が伸びる。
(2025年9月2日朝刊掲載)
(2025年9月2日朝刊掲載)