『ひと・とき』 元大阪府吹田市長 阪口善雄さん
25年9月5日
特攻・原爆…呉に父の足跡
「こんな山中に父親はおったんやなあ。戦車の下に飛び込む自爆訓練もしたそうです」。戦時中に呉鎮守府特別陸戦隊の通信兵だった父親、故善次郎さんは原爆投下翌日に呉から出動し、広島駅の復旧作業に当たった。
善次郎さんは1945年4月、戦艦大和とともに沈んだ駆逐艦浜風から脱出、6時間漂流して駆逐艦初霜に助けられた。「支給された衣類を全て重ね着して勤務に就いていたそうです」。こんな作戦で死んでたまるか、という強い意志。初霜と同様に救助に当たった駆逐艦が公開中の映画「雪風 YUKIKAZE」に出てくる雪風だった。
沖縄特攻から生きて呉に帰ると、もはや船のない海軍の「本土決戦」の駒に。戦後は関西の私鉄労働運動に身を投じる。吹田市議と大阪府議を計6期務め、日本被団協代表理事の任にもあった。
自身は吹田市長時代、商店街視察で呉市に出張したことはあったが、足跡をつぶさに追うのは初めて。陸戦隊が駐屯した北塩屋町から長迫町の旧海軍墓地へと巡って、浜風の戦没者慰霊碑に手を合わせた。善次郎さんの長兄が戦死した時に乗っていた空母の飛鷹(ひよう)の碑が隣にあって驚く。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)のゼネスト介入に憤って線路に寝たという、一徹な父の逸話も思い出す猛暑の一日だった。(佐田尾信作)
(2025年9月5日朝刊掲載)