『生きて』 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表 森滝春子さん(1939年~) <16> HANWA結成
25年9月6日
思いがけず共同代表に
≪インド、パキスタンとの草の根の平和交流に取り組んでいたさなかの2001年3月、核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)結成に加わる≫
これも、印パの核実験に端を発した動きでした。今こそヒロシマから市民が心一つに核兵器廃絶へ声を上げよう、と機運が高まったのです。広島修道大教授の岡本三夫さん、元広島平和文化センター理事長の河合護郎さんと3人で共同代表に就きました。青天のへきれきでした。
平和団体と被爆者団体の関係者らがそろい、人選を話し合った時のこと。広島共立病院名誉院長の丸屋博さんから突然「森滝さんがやってください」と言われたんです。自らの活動を始めてからまだ日が浅い私になぜ…と思いましたが、腹をくくりました。御庄(みしょう)博実のペンネームで峠三吉と共に活動した詩人で、被爆医師。それまではほとんど面識がなかったのですが、15年に亡くなるまで、私を支えてくれた恩人です。
≪結成から半年後の01年9月11日、米中枢同時テロが発生した。ブッシュ政権は直後からアフガニスタンに侵攻。次いで、フセイン政権が大量破壊兵器を開発しているという誤情報を盾に、イラク攻撃へと突き進む≫
ヒロシマから開戦を止めようとHANWAで米訪問団を結成し、02年4月に長崎の被爆者も加わり20人で2週間全米を行脚。反戦を訴える9・11の遺族と会いました。
イラクでは、1991年の湾岸戦争で劣化ウラン弾が使われています。核兵器や核燃料用にウラン濃縮をした後の、いわば残りかすを弾芯に使った兵器。米国は「通常兵器」だと強弁しますが、明らかに放射能兵器です。戦争になればまた使われる。到底、黙っていられません。
12月には、フォトジャーナリスト豊田直巳さんの呼びかけに応じ、イラクへ向かいました。現地の医療機関や教育施設で市民の声を聞き、帰国後は実態を伝えるため飛び回りました。
(2025年9月6日朝刊掲載)