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『生きて』 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表 森滝春子さん(1939年~) <17> 劣化ウランのヒバクシャ

内部被曝の実態に衝撃

 ≪2000年代はインドとパキスタンへ足を運びながら、米国やイラクにも渡航。それらの国から市民を広島に招くなど、多忙の限りを尽くす≫

 イラク戦争反対のうねりを起こすべく、皆が懸命でした。中でも大規模だったのが03年3月2日の取り組みです。当時の中央公園で6千人の人文字「NO WAR NO DU」をつくり、上空から撮影。米紙に意見広告として掲載しました。

 「DU」は劣化ウラン弾のこと。新天地(広島市中区)のアリスガーデンなどで市民に参加を呼びかけ、これだけ集まったんです。でも、3週間もたたずに米軍はイラク侵攻を開始しました。戦争を止められなかった責任を痛切に感じました。

 ≪それからわずか3カ月後、市民団体「NO DU ヒロシマプロジェクト」として首都が陥落したイラクを再訪する≫

 米軍の攻撃を受けたアブグレイブなどで、戦車の表面からちりや砂を収集。住民の尿も採取し、持ち帰りました。分析すると、ちりに劣化ウラン弾の微粒子が含まれていました。尿からも劣化ウランを検出。内部被曝(ひばく)は明らかでした。

 湾岸戦争でも劣化ウラン弾が使われたバスラの病院では、病室の子どもたちが白血病や悪性リンパ腫で死の淵にいました。女性に見舞いの品を渡すと「こんなものはいらない。子どもの命を返せ!」。頭を殴られるような衝撃でした。この人たちをまたもや戦火と放射能兵器にさらしたのがイラク戦争でした。

 核兵器だけでなく劣化ウラン弾もヒバクシャを生みます。禁止すべきです。04年5月、ドイツとベルギーへ飛び、被害実態を議論。06年には、イラクの医師ら12カ国の専門家と活動家を広島に招き国際会議を開きました。

 この間、介護と両立し、05年に97歳の母を自宅でみとりました。実は再婚から母の死まで11年間、田室は別居のまま支えてくれたんです。私と長年同居する母の生活環境を変えないように、との心配り。大切な人と同志たちへの感謝は尽きません。

(2025年9月9日朝刊掲載)

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