『生きて』 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表 森滝春子さん(1939年~) <19> 世界核被害者フォーラム
25年9月11日
各地のヒバクシャ連帯
日本は原発事故を経てなお、安全保障政策で米国の核抑止力にすがり、原発を維持するどころか使用済み核燃料からプルトニウムを取り出すという、さらにやっかいで核兵器廃絶を阻む政策に固執しています。被爆70年の節目となる2015年に、「核時代」を終わらせる一歩を踏みたい。私の体調も考え、今しかないと決意しました。
≪自身の提案をきっかけに、広島と長崎の幅広い市民たちが実行委員会を結成。15年11月、広島市内での「世界核被害者フォーラム」開催にこぎ着けた≫
国内外の被爆者や、世界で2千回を超える核実験の被害者、米国などのウラン鉱山近郊の先住民、福島第1原発事故で古里を追われた人…。劣化ウラン弾の被害者を診るイラクの医師や科学者らを含め、計18カ国の55人が登壇しました。現場を知り、世界のヒバクシャと連帯する意義を確かめました。
この会議には「前史」があります。父市郎は1975年にフィジーで「非核太平洋会議」に出席。オーストラリアの先住民からウラン採掘現場の実態について聞き、核被害を元から断つ決意を最終的に固めたのでした。85年に広島で「ヒバクシャ国際フォーラム」を開くと新たな機運が生まれ、チョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故の翌87年、米国で第1回の「核被害者世界大会」開催に結実しました。父も渡米しています。
実は2015年は、ドイツで1994年にあった世界大会に次ぐ「第3回」の位置付けもあったんです。海外ゲストに「核被害者は自分たちだけではないと知り、力をもらった」と言われ、皆の労が報われました。
≪感無量の再会もあった≫
ウラン鉱山があるインド・ジャドゥゴダのアシッシ・ビルリさんです。インドとパキスタンから若者を広島に招く事業を進めていた02年の来日メンバー。24歳になった13年後、古里の苦境を告発するフォトジャーナリストとしての再来日でした。
(2025年9月11日朝刊掲載)