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[被爆80年] 廿日市中生の木彫 見納め 埼玉「丸木美術館」に74年寄贈

生徒の願い 来訪者の記憶に

 埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」の正面玄関上側の外壁に飾られている木彫レリーフ「いのちの叫び」が、同館の大規模改修に伴い見納めとなる。半世紀前に廿日市市の廿日市中の生徒が原爆の恐ろしさや命の尊さを伝えるために制作し、寄贈した作品。劣化が進み保存は難しく、29日からの工事に合わせて姿を消す。

 いのちの叫びは、344枚の板をつなぎ合わせた縦2・2メートル、横5・5メートルの大作。左側にはもだえ苦しむ被爆者たち、中央には原爆ドームやきのこ雲、右側には平和を象徴するハトや花が描かれている。1972年に同中の生徒344人が1枚ずつ彫った。

 指導したのは美術教諭だった吉野誠さん(92)。44年に家族で渡った旧満州(中国東北部)で母は病死し、祖母は旧ソ連軍に命を奪われた。終戦を経て46年に引き揚げて教壇に。授業では何度も生徒に戦争や平和について考えさせ、原爆の記録映画も見せた。被爆の実情や命の尊厳を学んだ生徒から、レリーフの制作が持ち上がったという。

 当時2年生だった堀川千影さん(66)は、前年に父を原爆の後遺症で失った。「あの日に苦しんだ人、人生を狂わされた人たちに思いを寄せた」と被爆者の姿を刻んだ。花を担当した同級生の片岡真弓さん(66)は「原爆の悲惨さを伝えるだけでなく、平和な世が続くようにと願いを込めた」と振り返る。

 美術館は「原爆の図」で知られる広島市出身の丸木位里と俊夫妻が67年に開館。立ち寄った吉野さんが生徒作のレリーフの話をすると、ぜひ譲ってほしいと頼まれた。74年には位里さんがトラックで同中を訪れ、贈呈式が開かれている。

 吉野さんの教え子で当時は東京で活動していた画家の山本美次さん(76)は美術館での飾り付けに立ち会った。「夫妻もこの作品を一つの『原爆の図』だと思ったのかもしれない」と回想する。

 屋外で展示されたレリーフは、長く風雨や西日にさらされ、変色が激しく板が反り返る。改修工事に伴い撤去するという。同館の岡村幸宣専務理事(51)は「訪れる人の記憶にすり込まれた作品だったと思う。当時の中学生の願いに思いをはせ、残り少ない期間で多くの人に見てもらいたい」と呼びかける。(八百村耕平)

(2025年9月15日朝刊掲載)

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