[被爆80年] 原爆投下翌月 大野で台風の犠牲に 京都大調査班員たちを追悼
25年9月14日
1945年9月の枕崎台風による土石流で破壊された大野陸軍病院(現廿日市市)の犠牲者を悼む「慰霊の集い」が13日、廿日市市の市大野支所であった。当時、原爆調査や被爆者の診療で病院にいて巻き込まれた京都大の調査班11人を含む計156人を悼んだ。
京都大が営み、湊長博総長や遺族たち78人が参列し、祭壇に献花。伊佐正医学研究科長は「偉大な調査救難活動は後輩にとって大きな誇りであり、言葉では言い尽くせない悲劇」と語りかけた。参列者は宮浜温泉の米山広場にある犠牲者の名を刻む記念碑も訪ね、花を手向けた。
調査班に在籍し、命を落とした杉山繁輝・医学部教授の孫の隆さん(64)=松山市=は「今年2月に亡くなった父は祖父がいなくなり生活が一変した。祖父の無念さと父の苦しみに思いをはせた」と話していた。
京都大は毎年9月に記念碑前に献花台を設けている。5年ごとに関係者が一堂に集まるが、前回の2020年は新型コロナウイルス禍で中止になった。(八百村耕平)
(2025年9月14日朝刊掲載)
京都大が営み、湊長博総長や遺族たち78人が参列し、祭壇に献花。伊佐正医学研究科長は「偉大な調査救難活動は後輩にとって大きな誇りであり、言葉では言い尽くせない悲劇」と語りかけた。参列者は宮浜温泉の米山広場にある犠牲者の名を刻む記念碑も訪ね、花を手向けた。
調査班に在籍し、命を落とした杉山繁輝・医学部教授の孫の隆さん(64)=松山市=は「今年2月に亡くなった父は祖父がいなくなり生活が一変した。祖父の無念さと父の苦しみに思いをはせた」と話していた。
京都大は毎年9月に記念碑前に献花台を設けている。5年ごとに関係者が一堂に集まるが、前回の2020年は新型コロナウイルス禍で中止になった。(八百村耕平)
(2025年9月14日朝刊掲載)