[被爆80年] 被爆後写真から遺族の思い紹介 原爆資料館で講演
25年9月22日
広島市内の被爆2世でつくる「ヒバク2世の語ろう会」が20日、亡き親族の被爆体験を伝える講演会を中区の原爆資料館で開いた。原爆投下直後の御幸橋で撮影された写真に写る沓木(くつき)明さんと家族について、めいで中学教諭の里栄さん(58)=安芸区=が初めて語った。
明さんの兄が里栄さんの父。市立中(現基町高)の1年生だった明さんは被爆当日、小網町(現中区)一帯の建物疎開作業に動員されていた。写真は中国新聞社の松重美人(よしと)さんが撮影。後ろ姿が写っていたが、明さんのその後は分かっていない。
里栄さんは、被爆前に撮影した家族写真や祖父の手記を紹介。祖父母が遺骨代わりに「石仏」を仏壇にまつり、手を合わせていたとし「わが子を失う悲しみが、自分が親になってよく分かるようになった」と話した。
約20年前から明さんについて調べ始めた里栄さん。「写真に写った後ろ姿の少年を見詰めていくことが、供養になり、周りの人の思いをつなぐことになる」と継承への決意を語った。
(2025年9月22日朝刊掲載)
明さんの兄が里栄さんの父。市立中(現基町高)の1年生だった明さんは被爆当日、小網町(現中区)一帯の建物疎開作業に動員されていた。写真は中国新聞社の松重美人(よしと)さんが撮影。後ろ姿が写っていたが、明さんのその後は分かっていない。
里栄さんは、被爆前に撮影した家族写真や祖父の手記を紹介。祖父母が遺骨代わりに「石仏」を仏壇にまつり、手を合わせていたとし「わが子を失う悲しみが、自分が親になってよく分かるようになった」と話した。
約20年前から明さんについて調べ始めた里栄さん。「写真に写った後ろ姿の少年を見詰めていくことが、供養になり、周りの人の思いをつなぐことになる」と継承への決意を語った。
(2025年9月22日朝刊掲載)