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連載・特集

広島と映画 <15> 世界劇団主宰・精神科医 本坊由華子さん 「オッペンハイマー」 監督 クリストファー・ノーラン(2024年日本公開)

ヒロシマ知らないのでは

 私は2023年、広島に移住した。この街には至るところに原爆の爪痕がある。テレビのニュース、新聞、掲示される原爆供養塔の納骨名簿。8月になると広島は「ヒロシマ」になる。被害の物語が数多く積み重なっている。それは80年のときを経て語り継がれ、ひしひしと私にも刻まれつつある。同時に、原爆を落とした加害者側の物語を知りたいと思うようになった。「オッペンハイマー」公開を知り、すぐに映画館へ足を運んだ。

 本作の前半は、爆発的な科学革新とともに原爆開発が進められる様子が描かれる。後半では、オッペンハイマーが原爆投下がもたらした惨状に動揺し、水爆開発に反対するものの、共産主義者との関係性を激しく糾弾されていく。

 最も印象的なのは、広島に原爆が投下され、歓喜する科学者たちの前でスピーチをする場面だ。その最中、彼は科学者たちが原爆で焼かれる様子を瞬間的に想像してしまう。拍手を送る科学者たちの肌はうっすらと火傷(やけど)し、床が炭化するイメージが目に浮かぶのだ。

 私は一抹の疑問を感じた。火傷の描写が軽い。熱風で吹き飛ぶ科学者がいすの上で横たわる様子も描かれるが、それは人の形を保っていた。

 つまり本作に携わった人々の想像する被害が、あまりにも軽いのだ。実際の惨状と乖離(かいり)が激しく、劇中で描かれる被害は、あくまでもオッペンハイマーが想像した範疇(はんちゅう)にとどまる。原爆の被害をどのように認識してこの場面をつくったのだろうか。そして世界の人々はどのように認識しているのだろうか。もしかすると80年間、こういった被爆のイメージのままなのではないか。

 原爆投下が戦争を終結させたと肯定する米国人は少なくない。それはなぜか、少しだけ分かった気がした。恐らく「知らない」のではないか。ヒロシマで何があったのか、知らないのではないか。火傷の痛み、喉の渇きを、知らないのではないか。原爆症が出て、どのように死にゆくのか、知らないのではないか。

 ヒロシマは80年間、叫んでいる。しかし、世界のどれだけの人がヒロシマの声を聴いているのだろうか。この映画は世界中の国々で上映され、数々の賞を得た。すさまじい発信力を伴い、波及している。しかし、ヒロシマの被害の物語も同様に、同等に波及されるべきではないか。世界中に知られるべきではないか。現在世界で起こる戦争に、核兵器を肯定する言葉を散見するたびに、私は震える。

 ヒロシマの声を世界に届けなくてはならない。ヒロシマの声を世界に聴かせなければならない。この映画に対して、表現者の私は何ができるだろうか。私は、本映画に対するアンサー作品を創作しようと決意した。ヒロシマの声を世界に聴かせる作品を創作するのだ。

ほんぼう・ゆかこ
 1990年、鹿児島市生まれ。愛媛大医学部に在学中から脚本家、演出家、俳優として活動。各地から俳優やスタッフを招くスタイルで国内ツアーを行い、「日本を拠点」とする舞台芸術団体「世界劇団」主宰。

はと
 1981年、大竹市生まれ。本名秦景子。絵画、グラフィックデザイン、こま撮りアニメーション、舞台美術など幅広い造形芸術を手がける。

作品データ

米国/180分/ユニバーサル・ピクチャーズ
【原作】カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン【脚本】クリストファー・ノーラン【撮影】ホイテ・バン・ホイテマ【編集】ジェニファー・レイム【音楽】ルドウィグ・ゴランソン
【出演】キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr.

(2025年9月20日朝刊掲載)

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