[被爆80年] 核の犠牲者 もう出さないで 広島のWFC使節団が証言 米大の平和資料センター50周年
25年10月1日
原爆に関する文書を多数所蔵する米オハイオ州のウィルミントン大平和資料センターが設立50周年を迎え、同大で29日、記念行事が始まった。初日のシンポジウムでは、広島市中区のNPO法人ワールド・フレンドシップ・センター(WFC)の平和使節団メンバーで被爆者の石川行弘さん(84)=鳥取市=が証言し「アトム(原子)による犠牲者をこれ以上出してはならない」と力を込めた。(ウィルミントン発 山本祐司)
石川さんは、来場者約100人を前に「原爆の熱と爆風を想像できますか」と英語で投げかけ、爆心地から約2・4キロの広島市楠木町(現西区)で4歳の時に被爆した経験を話した。体調が優れなかった中学生の頃を「食事も睡眠も苦痛だった」と振り返り、原爆傷害調査委員会(ABCC)で検査を受けた体験なども織り交ぜた。
米国にも核実験やウラン採掘で多数の被害者がいるとし「この事実を知ってほしい。多くの人が放射線障害の危険性に気付かず無知でいることは悲劇だ」と強調した。会場からは「学校で教わらなかった」「オハイオの住民ができる支援は」などの声が続いた。
使節団は、核兵器廃絶への行動を呼びかける広島市の松井一実市長の手紙も同大へ届けた。石川さんのほか、被爆2世たち使節団のメンバー3人も折り鶴のワークショップなどを通じ、平和への思いを共有した。
記念行事は1日まで続く。アーカイブ(保存記録)の重要性や核兵器の脅威を考える学術会議がある。
米ウィルミントン大平和資料センター
国際平和交流に草の根で取り組むワールド・フレンドシップ・センター(WFC)を広島市に開いた米国人平和活動家バーバラ・レイノルズさん(1915~90年)が、母国に戻り75年に設立した。レイノルズさんが寄せた資料を中心に文書約4万点や書籍約1400冊などを所蔵し、原爆を中心にしたアーカイブズ(文書館)では「米国随一」といわれる。
(2025年10月1日朝刊掲載)
石川さんは、来場者約100人を前に「原爆の熱と爆風を想像できますか」と英語で投げかけ、爆心地から約2・4キロの広島市楠木町(現西区)で4歳の時に被爆した経験を話した。体調が優れなかった中学生の頃を「食事も睡眠も苦痛だった」と振り返り、原爆傷害調査委員会(ABCC)で検査を受けた体験なども織り交ぜた。
米国にも核実験やウラン採掘で多数の被害者がいるとし「この事実を知ってほしい。多くの人が放射線障害の危険性に気付かず無知でいることは悲劇だ」と強調した。会場からは「学校で教わらなかった」「オハイオの住民ができる支援は」などの声が続いた。
使節団は、核兵器廃絶への行動を呼びかける広島市の松井一実市長の手紙も同大へ届けた。石川さんのほか、被爆2世たち使節団のメンバー3人も折り鶴のワークショップなどを通じ、平和への思いを共有した。
記念行事は1日まで続く。アーカイブ(保存記録)の重要性や核兵器の脅威を考える学術会議がある。
米ウィルミントン大平和資料センター
国際平和交流に草の根で取り組むワールド・フレンドシップ・センター(WFC)を広島市に開いた米国人平和活動家バーバラ・レイノルズさん(1915~90年)が、母国に戻り75年に設立した。レイノルズさんが寄せた資料を中心に文書約4万点や書籍約1400冊などを所蔵し、原爆を中心にしたアーカイブズ(文書館)では「米国随一」といわれる。
(2025年10月1日朝刊掲載)