[被爆80年] 湯来の親子 証言継承へ 宮野さんに「黒い雨」聞く 「友人に伝えたい」
25年10月2日
広島市佐伯区湯来町の水内地区の小学生の親子10人が、1945年8月6日に地元で原爆のきのこ雲を見た宮野節幸さん(89)=同町下=の体験談に耳を傾けた。放射性物質を含む「黒い雨」を浴びた身近な被爆者の証言を語り継ごうと、保護者たちが機会を設けた。(八百村耕平)
JR可部線旧水内駅で9月21日、そばに住む宮野さんを4世帯の親子が囲んだ。80年前のあの日、国民学校の4年生だった宮野さんは、近くの神社で約30人と勉強していたという。爆心地から約20キロ離れていても強烈な光が空を覆い、山の向こうに立ち上る雲が見えたと明かす。「真っ黒い入道雲だと思った。何が起きたのか分からなかった」
大量の紙切れが飛んできて間もなく雨が降り注ぎ「着ていた白い半袖が黒く染まった」。新型爆弾が投下されたと知ったのは数日後。山里の日常はそれまでと変わらず「現実の話とは思えなかった」と振り返る。あの時浴びたのが放射性物質を含んだ雨だと知ったのは「もっと後」。自身が被爆者健康手帳を手にしたのは2022年だった。
宮野さんに証言を持ちかけたのは、湯来東小のPTA会長を務める小松瞳さん(45)たち。11月1日にある同小の150周年記念式典で町の歴史をたどるため、4月に宮野さんの話を聞いたのがきっかけだった。「ぜひ子どもにも語ってほしい」と申し出た。
同小6年の筒井冬馬さん(11)は「広島の街中に落とされた原爆のきのこ雲が、ここから見えたなんて。すごい威力の爆弾だと感じることができた。友達にも伝えたい」。一緒に聞いた児童たちで宮野さんの体験談を模造紙にまとめ、式典会場に掲示しようと準備を進める。
(2025年10月2日朝刊掲載)
JR可部線旧水内駅で9月21日、そばに住む宮野さんを4世帯の親子が囲んだ。80年前のあの日、国民学校の4年生だった宮野さんは、近くの神社で約30人と勉強していたという。爆心地から約20キロ離れていても強烈な光が空を覆い、山の向こうに立ち上る雲が見えたと明かす。「真っ黒い入道雲だと思った。何が起きたのか分からなかった」
大量の紙切れが飛んできて間もなく雨が降り注ぎ「着ていた白い半袖が黒く染まった」。新型爆弾が投下されたと知ったのは数日後。山里の日常はそれまでと変わらず「現実の話とは思えなかった」と振り返る。あの時浴びたのが放射性物質を含んだ雨だと知ったのは「もっと後」。自身が被爆者健康手帳を手にしたのは2022年だった。
宮野さんに証言を持ちかけたのは、湯来東小のPTA会長を務める小松瞳さん(45)たち。11月1日にある同小の150周年記念式典で町の歴史をたどるため、4月に宮野さんの話を聞いたのがきっかけだった。「ぜひ子どもにも語ってほしい」と申し出た。
同小6年の筒井冬馬さん(11)は「広島の街中に落とされた原爆のきのこ雲が、ここから見えたなんて。すごい威力の爆弾だと感じることができた。友達にも伝えたい」。一緒に聞いた児童たちで宮野さんの体験談を模造紙にまとめ、式典会場に掲示しようと準備を進める。
(2025年10月2日朝刊掲載)