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ガザから広島 和平祈る一家 戦闘2年 今夏に移住 爆撃・飢餓…「現実直視を」

 イスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘開始から7日で2年。同軍の攻撃は激化の一途をたどり、パレスチナ自治区ガザ側の死者は6万6千人を超えた。飢餓も広がる現地から今夏、広島県内に移り住んだ一家3人がいる。故郷に残る親族の無事を祈り、一刻も早い和平の実現を待ち望む。(小林可奈)

 集合住宅の一室は8月から住んでいるとは思えないほど、がらんとしていた。アフマド・アリさん(35)は、妻ネダー・タイシールさん(28)と長女ラマちゃん(3)の3人で暮らす。交流サイト(SNS)で知った文部科学省の奨学金制度に申請し、外務省の支援で来日できたという。日本語の勉強をした上で、来春から県内の大学院で電気システムを学ぶ予定だ。

 アリさんは中部デールバラハで生まれ育ち、電気技師や大学講師として生計を立てていた。「現地を離れる際に持ち出せた機器はスマートフォンだけ。着の身着のままだった」。緊迫した状況を英語で語り始めた。

 2023年10月に戦闘が始まった直後、両親や弟たちと計10人で最南部ラファの親族宅へ逃れた。イスラエル軍の攻撃が強まった24年5月、デールバラハへ戻った。自宅アパートは室内約120平方メートルの大半が焼け、無残な姿になっていた。

 それでも「行き場が他になかった」。被害が比較的少なかった2部屋を仮修繕し、10人が男女に分かれて寝起きした。約1カ月後には一帯の危険が高まって再び移動せざるを得なくなり、ついにテント生活になった。テント内の気温が50度に達する日もあり、「絶望感」に打ちひしがれた。

 奪われたのは、マイホームや日常生活だけでない。タイシールさんの叔母は爆撃で重傷を負い、子を失った。アリさんのいとこは、結婚を控える中で犠牲になった。

 ガザはイスラエルが1967年の第3次中東戦争で占領し、2005年に撤退した後も外部境界の管理を継続。人や物資の出入りを厳しく制限し「天井のない監獄」と呼ばれる。イスラム組織ハマスが武力制圧し、07年から実効支配してきた。

 ガザ保健当局の今月1日の発表によると、戦闘開始以降、ガザ側は6万6148人が死亡。戦闘前の人口約222万人の3%が犠牲になった計算だ。一方、英ロンドン大の研究者たちは1月、同局の発表は実際の死者数より約4割少ない可能性があると指摘。悲惨な実態を当局がつかみ切れない状況もうかがえる。

 タイシールさんのおなかには新たな命が宿り、年末に出産を控える。体調が気になる中、ガザの親族を思うと心が乱れる。「寝ていても急に目が覚めて涙がこぼれる」と悲痛な表情を浮かべた。

 爆撃のない広島での生活に、一家はありがたみを感じつつ戸惑いも時に抱く。「長年続く私たちの苦境は知られているのだろうか」。故郷では今もあまたの住民が苦しみ、命を奪われる日常が続いている。その現実を多くの人に直視してほしいと願う。

(2025年10月3日朝刊掲載)

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