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[被爆80年] 肉親の痛み 継ぐ思い新た 東京の森元さん 祖父と平和公園訪問 戦禍続く世界 「広島伝えることから」

 広島で被爆した祖父や曽祖父の体験を語り継ぎたい―。東京都東村山市の団体職員森元架有(かゆ)さん(25)が5日、1歳9カ月の時に広島市西区で被爆した祖父木村一茂さん(81)=東京都青梅市=と中区の平和記念公園を訪れ、80年前の惨状に触れた。世界各地で戦禍が絶えぬ今こそ、「肉親の痛みを知る私にできるのは伝えること」との思いを心に誓った。(樋口浩二)

 2人は都内の被爆者団体「東友会」のツアーで、一茂さんの妻美典さん(77)と広島入り。参加者たち約40人と原爆慰霊碑に花を手向けた後、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館と原爆資料館を見て回った。

 曽祖父に当たる一茂さんの父経一さんは陸軍船舶練習部の経理課長だった。あの日、宇品町(現南区)の練習部に自転車で向かう途中、比治山橋のほとりで被爆。以後、救護活動に奔走した記録が広島市の原爆戦災誌に残る。この日、森元さんは同祈念館で祖父母と8ページの記録を読んだ。

 一茂さんも己斐町(現西区)の自宅で原爆に遭った。生後1週間の弟は後に下痢を繰り返し、わずか10カ月で息を引き取った。こうした肉親の過去に「ちゃんと向き合いたい」と考えていた森元さん。大学1年の2018年夏、「おじいちゃんが被爆した場所を見たい」と祖父母に懇願し、3人で広島を訪れ、己斐中地区を歩いた。

 自らの役割を問い続ける中、ショックだったのがワーキングホリデーで昨年まで2年間いた英国での体験だ。原爆の話を友人に向けると「そんなことがあったんだ」との反応。周囲には核兵器の保有は正当との声も強く、「これが現実か」と落胆した。

 帰国後、職場の同僚や友人に「広島を伝えることから始めよう」と今回のツアーに臨んだ。「ウクライナやガザでは今も命が失われている。まずは広島の歴史を正しく知りたい」と考える。

 「核兵器の恐ろしさは世界に伝わっていない」と思う一茂さんも「少しずつでも同世代に語り継いでほしい」と孫に期待する。7日まで広島に滞在し、旧陸軍被服支廠(ししょう)(南区)などの被爆遺構を共に巡る。

(2025年10月6日朝刊掲載)

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