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広島「原爆の日」 秋葉市長が「平和宣言」

■記者 長田浩昌

 広島市の原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)が6日、中区の平和記念公園で営まれた。原爆投下から64年。式典には昨年より5千人多い5万人(市発表)が参列した。秋葉忠利市長は平和宣言で政府に対し、「被爆者の悲願を実現するため、2020年までの核兵器廃絶運動の旗手として世界をリードすべきだ」と求めた。

 式典は午前8時、開式した。秋葉市長と遺族代表2人が原爆慰霊碑に原爆死没者名簿を納めた。この1年で亡くなったり、死亡が確認されたりしたのは5635人。名簿は2冊増えて計95冊、犠牲者は26万3945人となった。長崎で被爆し、広島の慰霊碑への奉納を希望する4人の名を記した1冊も初めて納められた。

 原爆投下時刻の8時15分。夏の日差しが灰色の雲に和らげられた会場で、遺族代表の西村知子さん=安佐南区=とこども代表の高南小6年来島圭介君=安佐北区=が平和の鐘を鳴らした。参列者は起立し、1分間黙とうした。

 続く平和宣言。秋葉市長は、被爆者が勝訴を重ねた原爆症認定集団訴訟を念頭に「被爆体験の重みは法的にも支えられている」と強調。高齢化した被爆者の実態に即した援護策充実を政府に要望した。

 「核兵器のない世界」への実現努力を表明し、国際潮流を一変させたオバマ米大統領に言及。「私たちには大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任がある」との考えを示した。廃絶を願う多数派市民を「オバマジョリティー」と呼んで力の結集を呼び掛け、2020年までの核兵器廃絶を「Yes, we can.」(絶対にできます)と締めくくった。

 こども代表の矢野小6年矢埜哲也君=安芸区=と、五日市南小6年遠山有希さん=佐伯区=が「平和への誓い」を力強く読み上げた。

 麻生太郎首相はあいさつで非核三原則の堅持を明言し、「日本は被爆の苦しみを知る唯一の被爆国。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けなければならない」と決意を述べた。

(2009年8月6日夕刊掲載)




                   平 和 宣 言

人類絶滅兵器・原子爆弾が広島市民の上に投下されてから64年、どんな言葉を使っても言い尽せない被爆者の苦しみは今でも続いています。64年前の放射線が未(いま)だに身体を蝕(むしば)み、64年前の記憶が昨日のことのように蘇(よみがえ)り続けるからです。

幸いなことに、被爆体験の重みは法的にも支えられています。原爆の人体への影響が未(いま)だに解明されていない事実を謙虚に受け止めた勇気ある司法判断がその好例です。日本国政府は、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した援護策を充実すると共に、今こそ省庁の壁を取り払い、「こんな思いを他(ほか)の誰(だれ)にもさせてはならぬ」という被爆者たちの悲願を実現するため、2020年までの核兵器廃絶運動の旗手として世界をリードすべきです。

今年4月には米国のオバマ大統領がプラハで、「核兵器を使った唯一の国として」、「核兵器のない世界」実現のために努力する「道義的責任」があることを明言しました。核兵器の廃絶は、被爆者のみならず世界の大多数の市民並びに国々の声であり、その声にオバマ大統領が耳を傾けたことは、「廃絶されることにしか意味のない核兵器」の位置付けを確固たるものにしました。

それに応(こた)えて私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を「オバマジョリティー」と呼び、力を合せて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。その思いは、世界的評価が益々(ますます)高まる日本国憲法に凝縮されています。

全世界からの加盟都市が3,000を超えた平和市長会議では、「2020ビジョン」を具体化した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を、来年のNPT再検討会議で採択して貰(もら)うため全力疾走しています。採択後の筋書は、核実験を強行した北朝鮮等、全(すべ)ての国における核兵器取得・配備の即時停止、核保有国・疑惑国等の首脳の被爆地訪問、国連軍縮特別総会の早期開催、2015年までの核兵器禁止条約締結を目指す交渉開始、そして、2020年までの全(すべ)ての核兵器廃絶を想定しています。明日から長崎市で開かれる平和市長会議の総会で、さらに詳細な計画を策定します。

2020年が大切なのは、一人でも多くの被爆者と共に核兵器の廃絶される日を迎えたいからですし、また私たちの世代が核兵器を廃絶しなければ、次の世代への最低限の責任さえ果したことにはならないからです。

核兵器廃絶を視野に入れ積極的な活動を始めたグローバル・ゼロや核不拡散・核軍縮に関する国際委員会等、世界的影響力を持つ人々にも、2020年を目指す輪に加わって頂きたいと願っています。

対人地雷の禁止、グラミン銀行による貧困からの解放、温暖化の防止等、大多数の世界市民の意思を尊重し市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が今、正に発芽しつつあります。その芽を伸ばし、さらに大きな問題を解決するためには、国連の中にこれら市民の声が直接届く仕組みを創(つく)る必要があります。例えば、これまで戦争等の大きな悲劇を体験してきた都市100、そして、人口の多い都市100、計200都市からなる国連の下院を創設し、現在の国連総会を上院とすることも一案です。

被爆64周年の平和記念式典に当り、私たちは原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、長崎市と共に、また世界の多数派の市民そして国々と共に、核兵器のない世界実現のため渾身(こんしん)の力を振り絞ることをここに誓います。

最後に、英語で世界に呼び掛けます。

We have the power. We have the responsibility. And we are the Obamajority.
Together, we can abolish nuclear weapons. Yes, we can.

2009年(平成21年)8月6日
広島市長 秋葉 忠利

(注)英語部分の訳は次のとおりです。
私たちには力があります。私たちには責任があります。そして、私たちはオバマジョリティーです。
力を合せれば核兵器は廃絶できます。絶対にできます。


                   平和への誓い

人は、たくさんの困難を乗り越えてこの世の中に生まれてきます。
お母さんが赤ちゃんを生もうとがんばり、赤ちゃんも生まれようとがんばる。
新しい命が生まれ、未来につながっていきます。それは「命の奇跡」です。
しかし、命は一度失われると戻ってきません。戦争は、原子爆弾は、尊い命を一瞬のうちに奪い、命のつながりをたち切ってしまうのです。

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
それは人類が初めて戦争による被爆者をつくりだした時間であり、
世界が核兵器について真剣に考え始めなければならなくなった時間です。

あの日、原子爆弾は、広島の街を一瞬にして飲み込みました。
建物は破壊され、多くの人々が下敷きになりました。人々の皮膚は、ボロ布のように垂れ下がり、「助けて」、「水をください」と何度も言いながら、亡くなっていったのです。それは、人間が人間らしい最期を迎えられなかった残酷な光景でした。
多くの夢や希望を一瞬にして吹き飛ばされた人たちの悲しい、「闇」の世界でした。

世界の国々では、今も、紛争や暴力によりたくさんの命が奪われています。僕たちのような子どもが一番の犠牲となり、体に傷を負うだけでなく、家族を失い心に大きな傷を負っています。日本でもまだ多くの人たちが原爆の被害で苦しんでいます。入退院を繰り返す被爆二世の人もいます。だから、まだ戦争は終わったとは言えません。

これから先、世界が平和になるために、私たちができることは何でしょうか。
それは、原爆や戦争、世界の国々や歴史について学ぶこと、
けんかやいじめを見過ごさないこと、
大好きな絵や音楽やいろいろな国の言葉で、世界の人たちに思いを伝えること。
今の私たちにできることは、小さな一歩かもしれません。

けれど、私たちは、決してあきらめません。
話し合いで争いを解決する、本当の勇気を持つために、
核兵器を放棄する、本当の強さを持つために、
原爆や戦争という「闇」から目をそむけることなく、しっかりと真実を見つめます。
そして、世界の人々に、平和への思いを訴え続けることを誓います。

平成21年(2009年)8月6日
        こども代表 広島市立矢野小学校6年      矢埜 哲也
                広島市立五日市南小学校6年   遠山 有希
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