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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 徳安信さん―長崎原爆 いとこ奪った

徳安信(とくやすまこと)さん(91)=広島市佐伯区

慕っていた「お姉ちゃん」 忘れられない

 広島市佐伯区の徳安信さん(91)は10歳の時に長崎市で被爆し、優(やさ)しかったいとこを目の前で亡(な)くしました。その体験は周りの人たちにしか口にしたことがありませんでしたが、被爆80年の今夏、改めて記憶(きおく)をたどりました。「核兵器は絶対許せない」という思いを若(わか)い世代に伝えるためです。

 徳安さん宅(たく)は、爆心地から南東約3キロの長崎市馬町(うままち)にありました。父はすでに病気で他界し、兄2人は軍隊にいました。当時は母と姉、弟との4人暮(ぐ)らしでした。

 1945年8月9日、徳安さんは母と自宅(じたく)にいました。飛行機の音がしたと思った数秒後です。ピカッという強烈(きょうれつ)な光を感じました。「雷(かみなり)とは違(ちが)う」と思っていたところドーンという音がし、大きな揺(ゆ)れを感じました。

 家の中に駆(か)け込(こ)んできた見ず知らずの人たちに言われるまま、布団をかぶって様子をうかがいました。しばらくして布団から出ると、窓(まど)ガラスが粉々に飛び散り、壁(かべ)が壊(こわ)れています。外で遊んでいた姉と弟も「怖(こわ)かった」と泣きながら帰ってきました。

 夕方ごろです。髪(かみ)が乱(みだ)れ、皮膚(ひふ)をぶら下げて腕(うで)を前に出した人たちが列をなして歩いてきました。女学生だったいとこの北尾綾子さん=当時(18)=が家へ担(かつ)ぎ込(こ)まれました。動員先が爆心地に近く、服は焼けてぼろぼろでした。

 頭には無数のガラス片(へん)が突(つ)き刺(さ)さっていました。「医者がピンセットで取っても取っても、きりがありませんでした」。ピンセットがガラス片に当たる際の「ジャリ」「カチ」という音は、今も徳安さんの耳に残っています。

 懸命(けんめい)に介抱(かいほう)する徳安さんの母に、北尾さんは「おばちゃん助けて」と訴(うった)えました。母はどうすることもできず、無力感にさいなまれたそうです。10日ほど後、北尾さんは苦しみの末に息絶えました。

 自分を弟のようにかわいがってくれた北尾さんを、徳安さんは「お姉ちゃん」と慕(した)っていました。徳安さんたちは声を上げて泣き、遺体(いたい)をリヤカーで運んで近くの校庭で荼毘(だび)に付しました。北尾さんの家は爆心地近くにあり、両親と弟の行方は分からないままです。

 徳安さんは中学卒業後、会社員になりました。結婚(けっこん)し、4人の子どもにも恵(めぐ)まれました。広島へ転勤(てんきん)で移り住むと「居心地の良さ」を感じ、約40年間住み続けてきました。

 「お姉ちゃん」の最期や火葬(かそう)の様子を語る時、徳安さんの目には涙(なみだ)がたまります。80年前の光景や声、音…。時がどれだけたっても忘(わす)れることなどできません。「たくさんの市民の命を奪(うば)う核兵器や戦争は絶対反対だ」。自らの体験を踏(ふ)まえ、核兵器も戦争もない社会を築いてほしいと強く願っています。(小林可奈)

私たち10代の感想

継承の思い 受け止める

 徳安さんは「核兵器は一瞬(いっしゅん)にして多くの命を奪う」と語り、「核兵器はいかん」と繰(く)り返(かえ)しました。その強い言葉から、核兵器の恐(おそ)ろしさと、平和への切実な願いが痛(いた)いほど伝わってきました。自分の体験や思いを次世代に託(たく)したいという徳安さんの願いをしっかり受け止めたいです。(中3石井瑛美)

恐ろしさ想像し胸痛む

 長崎の被爆者の証言を初めて聴(き)きました。大切な人が苦しんでいる姿(すがた)をただ見ていることしかできない無力感、自らの手で火葬する時のつらさ…。親しい人や日常が奪われる恐ろしさを想像し、胸(むね)が痛みました。徳安さんのような思いをする人がいなくなるよう、平和を訴え続(つづ)けなければいけません。(中1鶴田雛)

 今回の取材で一番印象に残ったのは、徳安さんのいとこのお姉さんの話です。原爆投下後、家まで運ばれてきた、いとこのお姉さんは、ガラスの破片が刺さり、約10日後に息をひきとったそうです。この話をしている時、徳安さんは涙を浮かべていました。思い出したくない過去を、私たちに一生懸命話してくれたのだと思います。

 私にとって初めて聞く長崎の被爆証言でした。長崎への原爆投下は、8月9日だとは知っていましたが、時間などの詳しいことは知りませんでした。そんな自分の無知さに、広島で平和を伝える活動をする身として、恥ずかしく思いました。今回の取材を機に、もっと他の地域の歴史も学んでいこうと思います。(中2岡本龍之介)

 長崎の被爆体験を聞くのは初めてでした。知らない地名などが出てきましたが、核兵器廃絶への思いは、広島の被爆者と共通しているんだなと感じました。今回の学びを、これからの取材活動に生かしていきたいです。(中1矢熊翔人)

 ◆孫世代に被爆体験を語ってくださる人を募集しています。☎082(236)2801。

(2025年10月6日朝刊掲載)

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