[戦後80年]沖縄戦 被爆ピアノと考える 西区の高校 集団自決説明や演奏
25年10月5日
被爆ピアノの音色を聴きながら沖縄戦について学ぶ集いが4日、広島市西区の広島修道大協創中・高であった。高校1年生約240人が80年前の沖縄と広島での多くの犠牲に思いをはせ、平和の尊さをかみしめた。(伊藤友一)
祖父を亡くした沖縄県読谷(よみたん)村職員の山内哲也さん(34)が写真を示し、日米の戦没者数が20万656人に上ることなどをクイズ形式で説明した。住民が避難したガマ(自然壕(ごう))によって集団自決の有無の差があったとし、「米軍に対する認識の違いがあった。他者への理解を深めることが平和のため必要だ」と強調した。「島唄」など沖縄ゆかりの3曲も弾いた。
爆心地から1・8キロの千田町(現中区)で被爆したピアノを用意した調律師の矢川光則さん(73)=安佐南区=も、国内外で演奏会を開く自身の活動を紹介した。「ピアノを託してくれた時の被爆者の涙を忘れることはない」と語った。生徒によるピアノ演奏と原爆詩の朗読もあった。
生徒代表として最後にあいさつした山沢壮海(そうだい)さん(15)は「第一印象で判断せず、相手を深く知るよう改めたい」と話した。集いは、市民グループ「ひろしま被爆ピアノ友の会沖縄事務局」が2019年に同校に呼びかけ始まった。
(2025年10月5日朝刊掲載)
祖父を亡くした沖縄県読谷(よみたん)村職員の山内哲也さん(34)が写真を示し、日米の戦没者数が20万656人に上ることなどをクイズ形式で説明した。住民が避難したガマ(自然壕(ごう))によって集団自決の有無の差があったとし、「米軍に対する認識の違いがあった。他者への理解を深めることが平和のため必要だ」と強調した。「島唄」など沖縄ゆかりの3曲も弾いた。
爆心地から1・8キロの千田町(現中区)で被爆したピアノを用意した調律師の矢川光則さん(73)=安佐南区=も、国内外で演奏会を開く自身の活動を紹介した。「ピアノを託してくれた時の被爆者の涙を忘れることはない」と語った。生徒によるピアノ演奏と原爆詩の朗読もあった。
生徒代表として最後にあいさつした山沢壮海(そうだい)さん(15)は「第一印象で判断せず、相手を深く知るよう改めたい」と話した。集いは、市民グループ「ひろしま被爆ピアノ友の会沖縄事務局」が2019年に同校に呼びかけ始まった。
(2025年10月5日朝刊掲載)