被団協ノーベル賞発表1年 <下> 受け継ぐ者たち
25年10月8日
記憶絶やさぬ 広げる裾野
2世や若者 運動継続へ力
ことし、愛知県の小さな被爆者組織が息を吹き返した。担い手がいなくなり、20年近く解散状態にあった県原水爆被災者の会(愛友会)瀬戸支部。4月に会長に就いた被爆2世の太田智恵子さん(67)は、日本被団協のノーベル平和賞受賞に背を押されたという。「先人が諦めずに続けた運動が評価された。核兵器は反対と、信念を持って訴え続ける存在が必要と確信した」
地方組織も老い
愛友会には以前から支部再建を頼まれていた。一度は断ったが、被爆2世の知人2人を口説き、役割を分担。被爆者4人も迎え、今春から計7人で再始動した。早速、他の市民団体と共に原爆展を開いたり、平和行進に参加したり。たとえ被爆者がいなくなっても、運動の火は絶やさない―。覚悟が固まったという。
米軍による原爆投下から80年。被爆者は老いを深め、どの地方組織も存続に腐心している。京都府原爆被災者の会(京友会)は9月、理事会の開催を見送った。高齢の役員たちから欠席の申し出が相次ぎ、理事3人という定数を満たせなかったからだ。ただ手をこまねいているわけでもない。6月に規約を改正し、府外に住む被爆者や支援者も入会できるようにした。
広島で胎内被爆した林昌也会長(79)は「惨禍の記憶を継承するには、組織の基盤をつくり直さないと。担い手の裾野を広げる」と強調。被爆2世にも入会を働きかけている。北海道被爆者協会が3月に解散し、被爆2世や被爆3世、支援者たちでつくる後継団体が活動を引き継いだ例もある。
非被爆者に望み
愛友会の金本弘理事長(80)=名古屋市=は、こうした意欲的な「非被爆者」に望みを託す。9月下旬、京都市の立命館大であったシンポジウム。金本理事長は壇上から「私たちはあと何年生きられるか分からない。証言を聴いてくれた人が継承者になってほしい」と呼びかけた。
自身も被爆の記憶はない。9カ月の時、今の広島市西区で爆風に吹き飛ばされた。口の中に詰まったがれきを取り除いてくれたという父は、被爆2年後に他界。姉の1人は半身に残ったケロイドや差別に苦しんだ。そんな思いを誰にも味わってほしくないと、語り続けている。「次に核兵器が使われたら若い人たちも被害に遭う。過去の問題ではない」。シンポでの訴えにも力がこもった。
ノーベル賞委員会が発表した被団協への授賞理由にも、こんな一節がある。「いつか被爆者はわれわれの前からいなくなる。しかし記憶を守る強い文化と継続的な関与により、日本の新たな世代は被爆者の経験とメッセージを引き継いでいる」。次代の若者を鼓舞する意図が読み取れる。
思いを受け止めている若者もいる。同じシンポには福山市出身の高橋悠太さん(25)が出席した。2年前、核兵器廃絶を目指す一般社団法人かたわら(横浜市)を発足。代表理事として子ども向けの平和教育プログラムの開発に取り組んでいる。
「私はあの日を見たわけではない。でも被爆者の言葉を受け止め、国内外に伝えることはできる」と高橋さん。同世代も目立つ会場で宣言した。「被爆者の記憶を世界の記憶にしていく」(下高充生、宮野史康)
(2025年10月8日朝刊掲載)