社説 核被害者フォーラム 民の力で「核権力」包囲を
25年10月8日
人類が生き延びるためには市民が力を結集し強大な「核権力」に立ち向かうしかない―。国内外から被爆地に集った人々はそんな決意を新たにしたのではないか。広島市で10年ぶりに開かれた「世界核被害者フォーラム」である。
米国が人類の頭上に初めて核兵器を投下して80年。その後、実戦使用こそなかったものの、核を巡る世界情勢は深刻さを増す。核保有国間の対立やロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルのパレスチナ攻撃などを背景に、核軍縮の機運もしぼんでいる。
そんな中で世界の核被害者が被爆地に集い、核が人類に何をもたらすのか、被害の実情を共有した意義は大きい。
原点には、被爆地から反核運動を率いた故森滝市郎氏の思想がある。核が存在する現状の追認でなく、「核と人類は共存できない」という人間の側のリアリズムを再確認する機会になったといえよう。
2021年に発効した核兵器禁止条約は、前文に「ヒバクシャ」を刻み、原爆のみならず核実験などの被害にも言及する。しかしフォーラムでは、それにとどまらない核被害にも目を向け、核を利用する「権力」によって生み出されるあらゆる被曝(ひばく)を問うた。
例えば、ヒロシマ・ナガサキはしばしば核時代の幕開けとして語られるが、原爆製造のためのウラン採掘や精錬で被曝した人たちがいる。
セッションでは、広島原爆のウランが採掘された、アフリカ中部コンゴ(旧ザイール)の鉱山労働者の実情が紹介された。米国の核実験場で被曝を強いられた先住民や移住を余儀なくされたマーシャル諸島の人々とその子孫への影響、旧ソ連の核実験場の実情なども報告された。彼ら世界のヒバクシャは、核保有国や「核の傘」に頼る国々が信奉する「核抑止」の被害者であることを忘れてはならないだろう。
核の被害は核兵器に限らない。東京電力福島第1原発事故や旧ソ連チョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故による影響も報告された。ウラン採掘から精錬、開発に連なる核のサイクルを断たなければ、人類はいつでも核の被害者になり得る。
フォーラムが全体を通して突き付けたのは、核利用の背景にある「植民地主義」だ。例えば欧米やアジアの巨大な企業体が、小国や先住民族の貧困につけ込み、資源や労働を搾取する構図である。
大国の安全保障や経済活動が、弱い立場の人々の犠牲の上に成り立っている現実を私たちは直視せねばなるまい。それを許している構造的問題にも厳しい目を向けていくことが不可欠だろう。核兵器そのものを否定するだけでなく、核を操る権力や構造に切り込んでいく必要がある。
肝心なのは、これからである。フォーラムで得た力を、どう生かすのかが問われる。
世界の核被害の実情に触れ「核絶対否定」の思想に至った森滝氏はかつて、危機を食い止める力は「一般民衆の叫びと行動」だと被爆地市民に呼びかけた。改めて市民の連帯と行動が問われている。
(2025年10月8日朝刊掲載)
米国が人類の頭上に初めて核兵器を投下して80年。その後、実戦使用こそなかったものの、核を巡る世界情勢は深刻さを増す。核保有国間の対立やロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルのパレスチナ攻撃などを背景に、核軍縮の機運もしぼんでいる。
そんな中で世界の核被害者が被爆地に集い、核が人類に何をもたらすのか、被害の実情を共有した意義は大きい。
原点には、被爆地から反核運動を率いた故森滝市郎氏の思想がある。核が存在する現状の追認でなく、「核と人類は共存できない」という人間の側のリアリズムを再確認する機会になったといえよう。
2021年に発効した核兵器禁止条約は、前文に「ヒバクシャ」を刻み、原爆のみならず核実験などの被害にも言及する。しかしフォーラムでは、それにとどまらない核被害にも目を向け、核を利用する「権力」によって生み出されるあらゆる被曝(ひばく)を問うた。
例えば、ヒロシマ・ナガサキはしばしば核時代の幕開けとして語られるが、原爆製造のためのウラン採掘や精錬で被曝した人たちがいる。
セッションでは、広島原爆のウランが採掘された、アフリカ中部コンゴ(旧ザイール)の鉱山労働者の実情が紹介された。米国の核実験場で被曝を強いられた先住民や移住を余儀なくされたマーシャル諸島の人々とその子孫への影響、旧ソ連の核実験場の実情なども報告された。彼ら世界のヒバクシャは、核保有国や「核の傘」に頼る国々が信奉する「核抑止」の被害者であることを忘れてはならないだろう。
核の被害は核兵器に限らない。東京電力福島第1原発事故や旧ソ連チョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故による影響も報告された。ウラン採掘から精錬、開発に連なる核のサイクルを断たなければ、人類はいつでも核の被害者になり得る。
フォーラムが全体を通して突き付けたのは、核利用の背景にある「植民地主義」だ。例えば欧米やアジアの巨大な企業体が、小国や先住民族の貧困につけ込み、資源や労働を搾取する構図である。
大国の安全保障や経済活動が、弱い立場の人々の犠牲の上に成り立っている現実を私たちは直視せねばなるまい。それを許している構造的問題にも厳しい目を向けていくことが不可欠だろう。核兵器そのものを否定するだけでなく、核を操る権力や構造に切り込んでいく必要がある。
肝心なのは、これからである。フォーラムで得た力を、どう生かすのかが問われる。
世界の核被害の実情に触れ「核絶対否定」の思想に至った森滝氏はかつて、危機を食い止める力は「一般民衆の叫びと行動」だと被爆地市民に呼びかけた。改めて市民の連帯と行動が問われている。
(2025年10月8日朝刊掲載)