父は戦没オリンピアン 遺品訪ねて広島へ 神戸の佐々木さん 思いはせる
25年10月8日
神戸市の佐々木叔子さん(91)が7日、広島市西区の観音高の同窓会館を訪れた。前身の旧制広島二中出身の元五輪選手で戦争に関わって命を落とした「戦没オリンピアン」の父土井修爾さん(1909~38年)の遺品と向き合うため。32年のロサンゼルス五輪水球競技に出場した際の記念メダルなどを通じ、亡き父の半生に思いをはせた。
同行した家族たちと展示ケースに収められた約20点の遺品に見入った。五輪マークが刻まれたメダルや二中の成績通知表、受験番号票…。5年前に広島市立大の曽根幹子名誉教授を介して同窓会に寄贈後、展示を見学するのは初めて。「人間は人の口に上らなくなった時に2回目の死を迎えるといいますが、父は100年を超えて生きていますね」と語った。
土井さんは早稲田大在学中にロサンゼルス五輪に出た。帰郷後の37年に陸軍に召集され、広島を拠点とした第五師団に所属。皮膚の細菌感染症にかかり、28歳で亡くなった。
当時、長女の佐々木さんは4歳だった。「病院で寝ていた時に伯母に起こされました。父と最期のお別れをするために」と記憶をたどる。
母と祖父母も原爆で亡くした佐々木さん。自身と妹はあの日、今の安佐南区に疎開していて命をつなぎ、戦後は親族に育てられた。よわいを重ね「最後かもしれない」と広島訪問を望んだ。遺品は現役の生徒が目にする機会もあるといい、「大切に見てもらえたらうれしい」と願った。(下高充生)
(2025年10月8日朝刊掲載)
同行した家族たちと展示ケースに収められた約20点の遺品に見入った。五輪マークが刻まれたメダルや二中の成績通知表、受験番号票…。5年前に広島市立大の曽根幹子名誉教授を介して同窓会に寄贈後、展示を見学するのは初めて。「人間は人の口に上らなくなった時に2回目の死を迎えるといいますが、父は100年を超えて生きていますね」と語った。
土井さんは早稲田大在学中にロサンゼルス五輪に出た。帰郷後の37年に陸軍に召集され、広島を拠点とした第五師団に所属。皮膚の細菌感染症にかかり、28歳で亡くなった。
当時、長女の佐々木さんは4歳だった。「病院で寝ていた時に伯母に起こされました。父と最期のお別れをするために」と記憶をたどる。
母と祖父母も原爆で亡くした佐々木さん。自身と妹はあの日、今の安佐南区に疎開していて命をつなぎ、戦後は親族に育てられた。よわいを重ね「最後かもしれない」と広島訪問を望んだ。遺品は現役の生徒が目にする機会もあるといい、「大切に見てもらえたらうれしい」と願った。(下高充生)
(2025年10月8日朝刊掲載)