原発事故の遺構 どうつなぐ 福島県大熊でフィールドワーク 広島の多賀さん 被爆建物保存を紹介
25年10月13日
東京電力福島第1原発事故に伴い、帰還困難区域が残る福島県大熊町で12日、区域内の建物の保存や記憶の伝承を考えるフィールドワークがあった。東日本大震災や原発事故の遺構として保存を目指す地元の一般社団法人「大熊未来塾」などが主催し、20人が参加。広島の被爆遺構の保存活動に取り組む多賀俊介さん(75)=広島市西区=が招かれ、これまでの体験や保存の重要性を伝えた。
一行は、未来塾の発起人の木村紀夫さん(60)=福島県いわき市=の案内で、原発周辺の除染土の中間貯蔵施設内にある民家や熊町小などを訪ねた。木村さんは震災当時、この地に暮らし、津波で家族3人を失った。
その一人、次女の汐凪(ゆうな)さん=当時(7)=はこの小学校の1年だった。1年生の教室は授業で使っていた絵本やノートが机に置いたままの状態で今も残る。一方、グラウンドは草木が茂り、木村さんは震災前の学校の写真を見せながら「当時の面影は全くない」と振り返った。
被爆2世の多賀さんは14年間にわたり、広島市内の被爆建物の保存活動や証言を続け、今は「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)の保存に向けた市民団体の活動に力を入れている。
多賀さんは広島での取り組みを紹介し、遺構を保存する意義について「実物がないと記憶に残りづらい。遺構と向き合って感じ取ることが重要で、後世に記憶をつないでいく上でも残す必要がある」と強調。熊町小に言及し「当時の姿がそのまま残るこの教室から、震災の確かな状況が伝わってくる」と語った。
大熊町は本年度、中間貯蔵施設内に残る複数の建物の劣化状況を調査。今後の保存活用案を検討する方針という。木村さんは「広島を参考に、日常生活を唐突に奪った原子力災害の惨禍を示す学びの場にしたい」と保存活動の継続を誓った。(宮原滋)
(2025年10月13日朝刊掲載)
一行は、未来塾の発起人の木村紀夫さん(60)=福島県いわき市=の案内で、原発周辺の除染土の中間貯蔵施設内にある民家や熊町小などを訪ねた。木村さんは震災当時、この地に暮らし、津波で家族3人を失った。
その一人、次女の汐凪(ゆうな)さん=当時(7)=はこの小学校の1年だった。1年生の教室は授業で使っていた絵本やノートが机に置いたままの状態で今も残る。一方、グラウンドは草木が茂り、木村さんは震災前の学校の写真を見せながら「当時の面影は全くない」と振り返った。
被爆2世の多賀さんは14年間にわたり、広島市内の被爆建物の保存活動や証言を続け、今は「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)の保存に向けた市民団体の活動に力を入れている。
多賀さんは広島での取り組みを紹介し、遺構を保存する意義について「実物がないと記憶に残りづらい。遺構と向き合って感じ取ることが重要で、後世に記憶をつないでいく上でも残す必要がある」と強調。熊町小に言及し「当時の姿がそのまま残るこの教室から、震災の確かな状況が伝わってくる」と語った。
大熊町は本年度、中間貯蔵施設内に残る複数の建物の劣化状況を調査。今後の保存活用案を検討する方針という。木村さんは「広島を参考に、日常生活を唐突に奪った原子力災害の惨禍を示す学びの場にしたい」と保存活動の継続を誓った。(宮原滋)
(2025年10月13日朝刊掲載)