×

連載・特集

緑地帯 瀬戸一樹 「写真でみる広島の神社」編集余話④

 2023年夏、広島市南区宇品御幸の神田神社で、矢野美耶古さん(94)にお会いした。原爆で多くの級友を失った矢野さんは長年、被爆証言を通じ、反戦反核と平和の大切さを訴えてこられた。実は矢野さんは、神田神社の宮司だった故池田公司さんの四女。境内で撮影された貴重な古い写真を保管している。

 毛利輝元が広島城の守護神を祀(まつ)ったとされる神田神社は、明治時代に旧牛田村から現在地へ移転した。地域の人々に親しまれ、今回提供してもらった写真にも稚児行列でにぎわう節分祭や、本殿を造営する様子が写る。拝殿の前で竹やりのような物を持った女性たちの集合写真も残っていた。境内で訓練を行った際に撮影されたものとみられる。

 矢野さんから聞き取りを進める中で、ふと、1枚の写真に目が留まった。巫女(みこ)装束をまとい、少し緊張した面持ちの2人の少女が写っている。現代の子どもたちと変わらないとてもほほ笑ましいカットだ。しかし、「右側が私です」と矢野さんが語ってくれたのは、とても悲しい記憶だった。

 幼い矢野さんが父親を手伝い、巫女として奉仕したのは戦時下の結婚式。新郎に召集令状が届いたため、急いで挙式することになったのだという。「お嫁さんはとても悲しそうな顔をしていた」。そう語る矢野さんの表情が忘れられない。この写真は、「広島市エリア」の巻頭ページに大きく掲載した。(広島県青年神職会会長=廿日市市)

(2025年10月10日朝刊掲載)

年別アーカイブ