元首相死去 村山談話 被爆者に力 援護法 複雑な心境も
25年10月18日
戦後50年にあたり、日本の植民地支配に対する反省とおわびを明記した「村山談話」を残した村山富市元首相。社会党委員長として、1994年発足の「自社さ」連立政権の首相に就いた直後から被爆者援護法の制定にも関わり、被爆地広島とは縁が深かった。(下高充生)
「国策を誤り、戦争への道を歩んだ」との認識を示した村山談話。広島県原水禁の金子哲夫代表委員(77)は「原爆投下の遠因になったと認めた、とも言える」と捉える。
談話は被爆地の訴えを実現する力にもなったという。2002年、国が平和記念公園(広島市中区)に整備した広島原爆死没者追悼平和祈念館。被爆者側が国と折衝を重ねた末、館内の説明文に原爆死没者が「誤った国策」の犠牲になったと刻まれた。金子さんは「被爆者たちは村山談話を訴えの根拠にしていた。談話が祈念館に太い背骨を入れた」と評価する。
ただ被爆者援護法を巡り、ヒロシマは今なお複雑な心境を抱く。援護法制定は被爆者の長年の訴えに応じ、野党時代の社会党も推進。日本被団協は放射線被害に苦しむ生存被爆者の援護に限った旧二法を見直し、国が始めた戦争被害への償いとして原爆死没者への「国家補償」も認めるよう迫ったが、連立与党の自民党と新党さきがけが反対。結局、盛り込まれなかった。
「実現可能な最善の策」と国会で述べた村山さん。被団協の運動をけん引した故森滝市郎さんの次女春子さん(86)=佐伯区=は「裏切られた気持ちだった」と明かす。「国家補償を求める運動が低調になる転換点ともなった」。一方、援護法は原爆で家族を亡くした被爆者への「特別葬祭給付金」支給を新たに盛り込んだ。
村山さんは94、95年、首相として市の平和記念式典に臨んだ。以後、歴代首相が継続的に出席している。
(2025年10月18日朝刊掲載)
「国策を誤り、戦争への道を歩んだ」との認識を示した村山談話。広島県原水禁の金子哲夫代表委員(77)は「原爆投下の遠因になったと認めた、とも言える」と捉える。
談話は被爆地の訴えを実現する力にもなったという。2002年、国が平和記念公園(広島市中区)に整備した広島原爆死没者追悼平和祈念館。被爆者側が国と折衝を重ねた末、館内の説明文に原爆死没者が「誤った国策」の犠牲になったと刻まれた。金子さんは「被爆者たちは村山談話を訴えの根拠にしていた。談話が祈念館に太い背骨を入れた」と評価する。
ただ被爆者援護法を巡り、ヒロシマは今なお複雑な心境を抱く。援護法制定は被爆者の長年の訴えに応じ、野党時代の社会党も推進。日本被団協は放射線被害に苦しむ生存被爆者の援護に限った旧二法を見直し、国が始めた戦争被害への償いとして原爆死没者への「国家補償」も認めるよう迫ったが、連立与党の自民党と新党さきがけが反対。結局、盛り込まれなかった。
「実現可能な最善の策」と国会で述べた村山さん。被団協の運動をけん引した故森滝市郎さんの次女春子さん(86)=佐伯区=は「裏切られた気持ちだった」と明かす。「国家補償を求める運動が低調になる転換点ともなった」。一方、援護法は原爆で家族を亡くした被爆者への「特別葬祭給付金」支給を新たに盛り込んだ。
村山さんは94、95年、首相として市の平和記念式典に臨んだ。以後、歴代首相が継続的に出席している。
(2025年10月18日朝刊掲載)