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社説・コラム

社説 [地域の視点から] 戦後80年の大久野島 「負の遺産」の継承 強化を

 今は「ウサギ島」の方が、はるかに通りがいい。竹原市沖の大久野島を2024年に訪れた約20万人の多くは、外来種が半野生化した愛らしいウサギがお目当てだろう。

 「毒ガスの島」の本質も忘れてはならない。1929年に旧日本陸軍の毒ガス工場が置かれ、今は環境省が管理する島には往時の遺構がさまざまな形で残る。島で製造された毒ガスは原液状態で6600トンを超えた。

 ここで働いた約6800人の大半は戦後、慢性呼吸器疾患などの障害に苦しんだ。きょう島の慰霊碑前で毒ガス障害死没者慰霊式が営まれる。戦後80年に当たり、「負の遺産」として地域で記憶を継承する誓いを新たにしたい。

 高齢化が著しい当事者が実態を証言するのは難しい。今月1日現在で国が支援対象とする毒ガス障害者は432人と前年から119人減り、平均年齢は95・6歳。広島と長崎の両被爆地と比べても体験風化は深刻といえよう。

 ウサギ観光の人たちが、市が運営する大久野島毒ガス資料館を素通りする光景を目にする。若い世代や民間団体とも手を携え、実態を再発信する営みを強化すべきだろう。この8月、市が毒ガス障害者たちの連絡協議会などと共催して関連資料を市役所で初めて展示した。今後は巡回展示も視野に入れたらどうか。

 むろん大久野島が抱える加害の側面も置き去りにはできまい。島で製造した化学兵器が日中戦争で実戦使用されたこと。大陸に遺棄され、戦後も住民に被害を与えたこと。化学兵器禁止条約に基づいて日本政府が義務を負う遺棄化学兵器の処理が道半ばであること…。これらを直視しなければ本当の意味で歴史の教訓にはつながらない。

 毒ガス関連の遺構の活用も欠かせない。明治時代に築かれた芸予要塞(ようさい)の砲台跡などを転用した「二重の戦争遺跡」であり、貯蔵庫跡や発電所などが環境省の手で一定に保存されてきた。市民グループの協力も得た説明板の内容も、前より充実している。

 一方で守る手だては万全とはいえまい。現に毒ガス貯蔵庫として使われていた「火薬庫跡」が2018年の西日本豪雨で崩落したままだ。

 市は大久野島を訪れる人から集める「訪問税」の検討に入る。実現に向けてはさまざま課題が残るが、例えば遺構の保全と活用に税収を振り向ける発想もあり得よう。

 理解を広げるためには文化財指定も必要ではないか。かつて国史跡に、という声もあったが沙汰やみとなった。日本全体の近現代史を考える上でも象徴的な場所であることを地元は念頭に置きたい。

(2025年10月24日朝刊掲載)

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