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[被爆80年] 戦前の「発明展」残る写真 広島の兄妹入賞記念 中区の遺族保管

魚うろこ取り機・チョークを最後まで使う道具

県協会「大変貴重な資料」

 子どもたちの発明品のアイデアを表彰する発明協会主催の「全日本学生児童発明くふう展」で、戦前の大会で入賞した広島のきょうだいの記念写真を遺族が大切に保管している。発明協会広島県支部(現在の県発明協会)の事務所は当時、県産業奨励館(現原爆ドーム)にあり、米軍による原爆投下で大半の資料が焼失している。県発明協会は「戦前の取り組みが分かる大変貴重な資料」としている。(山本真帆)

 「便利な道具もない時代。暮らしの知恵を感じる」。広島市中区の細川洋さん(66)はセピア色の写真に目をやり感慨深そうに語った。緊張した面持ちの男児の背後に、かまぼこ板にくぎを均等に打った「魚のうろこ取り機」の絵が写る。この男児は父浩史さん(2023年に95歳で死去)だ。

 千田国民学校(現中区の千田小)に通っていた浩史さんが戦前入賞し、記念で撮った一枚とみられる。浩史さんは県産業奨励館で入賞作品の展示があったと話していたといい、細川さんは「父はこの写真を手に『唯一の自慢』とうれしそうだった」と振り返る。

 細川さんの手元には、1944年に同じく入賞し、表彰状を持つ浩史さんの妹の故森脇瑤子さんの写真も残る。当時、厳島国民学校(現宮島小)6年だった瑤子さんは、教員が短くなったチョークで黒板に文字を書くのに苦心する姿から、チョークを棒先に挟んで最後まで書きやすくする道具を考えたという。

 瑤子さんは翌45年、広島県立広島第一高等女学校(現皆実高)に進学。8月6日、広島市の土橋地区(現中区)付近の建物疎開作業に動員され、全身にやけどを負って13歳で亡くなった。瑤子さんはその前日まで日常を日記につづり、浩史さんは晩年までその日記と入賞の副賞の万年筆を大事に手元に残していた。

 発明協会県支部70周年記念誌(96年刊)によると、発明くふう展は41年に全国大会の「少年少女発明工夫展覧会」として初めて開かれた。一方、県内では34年に独自の県大会を開いたとの記録も残り、全国に先駆け子どもの発明を募っていた。

 「物資も乏しい中、父たちは周りにあるもので一生懸命考えたのでしょう」と細川さん。被爆80年の今年6月、瑤子さんの日記と万年筆を原爆資料館(中区)に寄贈した。発明くふう展はことし84回目を迎えた。

(2025年10月27日朝刊掲載)

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