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社説・コラム

天風録 『この世界の片隅を』

 府中市出身の作家、山代巴が編んだルポルタージュ集「この世界の片隅で」は刊行から60年たった今読んでも胸を打つ。置き去りにされていた原爆小頭症の人や家族、沖縄の被爆者たちの戦後20年に光を当てて世に問うた▲旧来の名著を思い出したのは、対照的な言い回しが、きのう高市早苗首相の口で語られたからである。「世界の真ん中で咲き誇る日本」。臨時国会での所信表明演説で、繰り返していた▲聞き覚えがあるフレーズだと思ったら、安倍晋三元首相が好んで使っていた言葉らしい。自民党が政権へ復帰した翌年春のこと。「桜を見る会」で、自身の首相返り咲きを会場の八重桜に例え、「日本を世界の真ん中で咲かせる」と述べていた▲そんな師へのオマージュなのだろうか。師が好んだ「力」「強い」といった勇ましい言葉も随所にちりばめた。ならば、桜を見る会を巡る疑惑をはじめ歴代政権が「片隅」に追いやった問題にも目を向けてもらいたい▲山代は原爆被害者を訪ね、手記を集めて歩いた後、農村女性らの意識改革や人権の確立にも尽くした。社会の「片隅」で生きる人々を見捨てない政治がなされてこそ、世界に誇ることができるのでは。

(2025年10月25日朝刊掲載)

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