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連載・特集

レイノルズさんの遺産 米平和資料センター50年 <下> 継承

資料読み解き 運動の力に

 米オハイオ州のウィルミントン大平和資料センターの1階にあるキャビネット。その引き出しに収まる「広島・長崎記念文庫」は、センターの設立者で平和運動家のバーバラ・レイノルズさん(1915~90年)が69年に帰国する際に広島から持ち帰った資料群だ。

 「ここは本当に宝の山なんです」。調査で訪れた広島市のNPO法人ワールド・フレンドシップ・センター(WFC)の服部淳子副理事長が興奮気味に話す。WFCには見当たらない資料が詰まっているという。

 レイノルズさんが広島市民と設立したWFC草創期の活動記録、将来の構想をまとめた文書…。これらを日本の資料と照らし合わせれば、当時の日米市民の反核の動きがより克明に浮かび上がるとみる。

 2023年に続いて今回再訪した服部副理事長は、これまでに約1100点の文書をスキャンした。デジタルデータは日米双方で共有し、広島ではWFCの立花志瑞雄(しずお)理事長たちと読み解く作業を進めている。

 このような外部からの取り組みは、センターの支えにもなる。センターで資料の保存や整理を担うのはターニャ・マウス所長と学生スタッフ7人だけ。今回開いたセンター設立50周年の記念行事も費用の8割以上は寄付などで賄っており、資金は限られている。

 平和関連の文献を調査する筒井弥生・筑波大アーカイブズ研究員は「資料整理はかなり進んだが、元々の量が膨大。マンパワーが足りない」と指摘する。「日米でもまだ知る人ぞ知る施設。もっと知名度を上げる必要がある」とし、WFCと連携した活動を提案する。

 WFC側が資料をたどる中で、レイノルズさんが米国内のさまざまな知り合いに手紙を送り、WFC関連の活動資金を得ようとしていたことが分かった。ベトナムの戦傷孤児を支援する活動では「非暴力と和解の道を通じて戦争終結を目指す人々に力と励ましを与える」とつづり、理解と援助を求めていた。

 その努力は、WFCの60年の歴史に埋もれていた。立花理事長は「反核・平和のため先人が何を考え、どう行動したか。資料から学び、今度は自分たちが何をすべきか考えないといけない」と力を込める。(山本祐司)

(2025年10月25日朝刊掲載)

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