[戦後80年] 毒ガスの実相 語り継ぐ 竹原 大久野島で慰霊式
25年10月25日
竹原市忠海町の大久野島にあった旧日本陸軍の毒ガス製造工場で働くなどして健康被害を負い、後遺症に苦しんで亡くなった被害者を悼む慰霊式が24日、島内の慰霊碑前であった。周辺の8市1町などでつくる大久野島毒ガス障害者対策連絡協議会が主催し、遺族たち約110人が参列した。
今年7月末までの約1年間に亡くなった107人を加えた4493人分の死没者名簿を慰霊碑に奉納した。連絡協議会の会長を務める竹原市の今栄敏彦市長は「戦争と毒ガス製造の実相を後世に伝え続けることが私たちの責務。戦争と化学兵器のない恒久平和の実現に向け全力を尽くす」と誓った。参列者は黙とうし、慰霊碑に献花した。
工場で働いていた父を肺がんで亡くし、自らも気管支炎を患う副会長の伊勢本学さん(89)は「式は今後も続けてもらいたいし、私も出席し続ける」と話した。工場閉鎖から80年がたった今年10月1日現在、広島県によると、国の健康管理手帳を持つ被害者は432人で平均年齢は95・6歳という。(城戸昭夫)
(2025年10月25日朝刊掲載)
今年7月末までの約1年間に亡くなった107人を加えた4493人分の死没者名簿を慰霊碑に奉納した。連絡協議会の会長を務める竹原市の今栄敏彦市長は「戦争と毒ガス製造の実相を後世に伝え続けることが私たちの責務。戦争と化学兵器のない恒久平和の実現に向け全力を尽くす」と誓った。参列者は黙とうし、慰霊碑に献花した。
工場で働いていた父を肺がんで亡くし、自らも気管支炎を患う副会長の伊勢本学さん(89)は「式は今後も続けてもらいたいし、私も出席し続ける」と話した。工場閉鎖から80年がたった今年10月1日現在、広島県によると、国の健康管理手帳を持つ被害者は432人で平均年齢は95・6歳という。(城戸昭夫)
(2025年10月25日朝刊掲載)








