緑地帯 佐々木博光 アマチュア映像65年の歩み⑦
25年10月30日
													 全国でコンテストが盛んだった1975年、地元放送局の中国放送(RCC)も「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」を始めた。テーマは「平和への営みと生きる尊さ」。当時は被爆30年。カープがセ・リーグ初優勝を果たした年でもあった。
第1回は広島県医師会館ホールで開催した。広島エイト倶楽部初代会長の松原博臣さんが広島市、RCCなどと話し合って実行委員会を立ち上げ、RCCと中国小型映画連盟、日本ユネスコ協会が共催、広島エイト倶楽部が全面的にバックアップした。映画祭は隔年で12回続き、関係者は約20年間、携わることとなった。
第1回の審査会は広島市中区橋本町のRCC文化センターで開いた。審査員は、映画監督の新藤兼人さん、映画評論家の山田和夫さん、映画研究家のドナルド・リチーさん、広島大学長の飯島宗一さんたち10人。審査は3日間行われ、倶楽部が上映機材を持ち込み、操作など手伝った。
16ミリと8ミリのアマチュア映画が国内から140本、国外からは米国、イランなど16カ国から59本の応募があった。平和や人間賛歌、自然をテーマにした作品が多かった。
このコンテストには倶楽部から迫田佳伸さんの「ふたりぽっち」(75年)や共同作品「ちちをかえせ ははをかえせ」(82年)も入賞した。受賞作品の移動上映会を長崎、東京などでも開いた。 (広島エイト倶楽部理事=広島市)
(2025年10月30日朝刊掲載)
                        
                    
		
                    
                第1回は広島県医師会館ホールで開催した。広島エイト倶楽部初代会長の松原博臣さんが広島市、RCCなどと話し合って実行委員会を立ち上げ、RCCと中国小型映画連盟、日本ユネスコ協会が共催、広島エイト倶楽部が全面的にバックアップした。映画祭は隔年で12回続き、関係者は約20年間、携わることとなった。
第1回の審査会は広島市中区橋本町のRCC文化センターで開いた。審査員は、映画監督の新藤兼人さん、映画評論家の山田和夫さん、映画研究家のドナルド・リチーさん、広島大学長の飯島宗一さんたち10人。審査は3日間行われ、倶楽部が上映機材を持ち込み、操作など手伝った。
16ミリと8ミリのアマチュア映画が国内から140本、国外からは米国、イランなど16カ国から59本の応募があった。平和や人間賛歌、自然をテーマにした作品が多かった。
このコンテストには倶楽部から迫田佳伸さんの「ふたりぽっち」(75年)や共同作品「ちちをかえせ ははをかえせ」(82年)も入賞した。受賞作品の移動上映会を長崎、東京などでも開いた。 (広島エイト倶楽部理事=広島市)
(2025年10月30日朝刊掲載)








