核被害者の補償 責任追及と両立を 世界フォーラムで「権利宣言」採択 まとめ役の井上まりさんに聞く
25年11月3日
10月5、6の両日に広島市内であった「世界核被害者フォーラム」では核実験やウラン採掘などの現場で被害を訴える参加者が集い、「世界核被害者の権利宣言2025」を採択した。まとめ役を担った米国の反核団体代表、井上まりさん(50)=ニューヨーク市=に狙いを聞いた。(金崎由美)
―宣言の目的は。
世界の市民が平和を求めているが、現実には核戦争やさらなる核汚染の危機が高まっている。一方、国の援護区域外で被爆した長崎の「被爆体験者」や原発事故の被災者らは十分に救済されていない。被害根絶のため、当事者の多様な声を政策提言として発信する必要がある。宣言は議会や政府に働きかける材料となる。
―訴えの柱は。
核被害者が持つべきさまざまな権利を掲げた。加害者責任の追及と、被害補償が不可分一体となる。往々にして放射性物質の放出に関する情報は加害者側に独占、隠蔽(いんぺい)されている。被害者の被曝(ひばく)線量を特定することは困難だ。わずかな被曝でも線量に応じた健康被害のリスクはあるという認識の下、「被曝した事実」と「健康リスクの可能性」があれば賠償を求めたり医療を受けたりできることを明確にした。被曝から年月を経ての病気や遺伝的障害に関しても、時効の排除を求めた。
―核兵器禁止条約も「被害者援助」と「環境修復」を定めています。
条約自体の意義はある。だが原発事故や主に先住民の土地を搾取して行われるウラン採掘は条約の対象外。加害者責任も明確でない。原子力の平和利用を推進する条約でもあり、核被害と軍事転用は根絶できない。
―2015年にも世界核被害者フォーラムが開かれ、同様の文書を発表しています。
これを下敷きに、福島第1原発事故の被害者や弁護士らで作業部会をつくり1年間議論した成果が今回の宣言だ。来年の核兵器禁止条約再検討会議に提出するなどしながら、生かしていく。
―米国での弁護士としての仕事を中断して開催に携わりましたね。
1年余り前、共に活動する広島市出身の在米アーティスト川野ゆきよさんを通じて15年の動きを知った。共催した核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)の森滝春子さんに会ったことはなかったが、被爆80年に再結集すべきだと確信し、開催を提案した。春子さんの父市郎さんの言葉「核と人類は共存できない」を共通の土台に、広島の人たちと力を合わせることができた。
―1カ月半の広島滞在で思ったことは。
広島に集った核被害者に共通するのは、被害に対する責任追及と、怒り。この二つが被爆地でも次世代に継承され、世界の核被害者と連帯していけるのか注目したい。
1975年、東京都生まれ。ニューヨーク市立大法科大学院を修了し、2001年からニューヨーク州弁護士。市民団体「核の無い世界のためのマンハッタン・プロジェクト」共同創始者。
(2025年11月3日朝刊掲載)
―宣言の目的は。
世界の市民が平和を求めているが、現実には核戦争やさらなる核汚染の危機が高まっている。一方、国の援護区域外で被爆した長崎の「被爆体験者」や原発事故の被災者らは十分に救済されていない。被害根絶のため、当事者の多様な声を政策提言として発信する必要がある。宣言は議会や政府に働きかける材料となる。
―訴えの柱は。
核被害者が持つべきさまざまな権利を掲げた。加害者責任の追及と、被害補償が不可分一体となる。往々にして放射性物質の放出に関する情報は加害者側に独占、隠蔽(いんぺい)されている。被害者の被曝(ひばく)線量を特定することは困難だ。わずかな被曝でも線量に応じた健康被害のリスクはあるという認識の下、「被曝した事実」と「健康リスクの可能性」があれば賠償を求めたり医療を受けたりできることを明確にした。被曝から年月を経ての病気や遺伝的障害に関しても、時効の排除を求めた。
―核兵器禁止条約も「被害者援助」と「環境修復」を定めています。
条約自体の意義はある。だが原発事故や主に先住民の土地を搾取して行われるウラン採掘は条約の対象外。加害者責任も明確でない。原子力の平和利用を推進する条約でもあり、核被害と軍事転用は根絶できない。
―2015年にも世界核被害者フォーラムが開かれ、同様の文書を発表しています。
これを下敷きに、福島第1原発事故の被害者や弁護士らで作業部会をつくり1年間議論した成果が今回の宣言だ。来年の核兵器禁止条約再検討会議に提出するなどしながら、生かしていく。
―米国での弁護士としての仕事を中断して開催に携わりましたね。
1年余り前、共に活動する広島市出身の在米アーティスト川野ゆきよさんを通じて15年の動きを知った。共催した核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)の森滝春子さんに会ったことはなかったが、被爆80年に再結集すべきだと確信し、開催を提案した。春子さんの父市郎さんの言葉「核と人類は共存できない」を共通の土台に、広島の人たちと力を合わせることができた。
―1カ月半の広島滞在で思ったことは。
広島に集った核被害者に共通するのは、被害に対する責任追及と、怒り。この二つが被爆地でも次世代に継承され、世界の核被害者と連帯していけるのか注目したい。
1975年、東京都生まれ。ニューヨーク市立大法科大学院を修了し、2001年からニューヨーク州弁護士。市民団体「核の無い世界のためのマンハッタン・プロジェクト」共同創始者。
(2025年11月3日朝刊掲載)








