×

ニュース

[被爆80年] 福屋八丁堀本店 被爆前の姿 1938年完成前後の写真30枚 冊子発見 関係者が寄贈

 1938年3月に完成した被爆建物、百貨店の福屋八丁堀本店(広島市中区)の建築風景や完成時の写真30枚を収めた冊子が見つかった。建築を手がけた広島藤田組(現準大手ゼネコンのフジタ)に勤めていた男性の孫が福屋に寄贈した。冊子は両社にも残っておらず、福屋はデジタルデータで保存し、ホームページなどで公開する考えだ。(政綱宜規)

 冊子は広島藤田組が制作した。黒い革を張った表紙に金色の文字で「福屋百貨店新築記念写真帳」と記す。縦19センチ、横28センチの34ページ。台紙に短辺11センチ、長辺13~16センチのモノクロ写真30枚が張ってある。完成当時、関係者に配ったとみられる。

 完成直後の館内の写真は華やかな内装が目を引く。1階のエレベーターフロアは階数の表示灯にアルファベットと洋数字を採用している。5階の貴賓室は洋風の室内にソファと盆栽が並ぶ。6階の食堂は入り口に料理のサンプルが置いてある。

 冊子の写真のうち館内のカットは福屋も所有しているが、建設中の場面を中心に約半数は残っていないという。3階にコンクリートを打つ現場写真には男性に加え、もんぺ姿の女性が写る。無数の足場が組まれた外観写真には「仁丹」の看板を掲げた商店も見え、当時の街の雰囲気が伝わる。

 寄贈者は横浜市の会社役員平野暁さん(60)。祖父の静さんが広島藤田組の広島支店長で、店舗建設の中心人物だった。静さんは45年8月6日、米軍による原爆投下で被爆し4日後に亡くなった。息子で、暁さんの父浩さん(2024年11月に89歳で死去)が東区の自宅で冊子を保管していた。

 今年5月、暁さんが父の荷物を整理していた際に見つけ、9月下旬に福屋へ寄贈した。暁さんは「祖父が建て、父におもちゃを買ってもらった思い出の場所。末永く残ってほしい」と願う。

 八丁堀本店は36年5月に福屋新館として起工。38年3月に完成し、翌4月に営業を始めた。地上8階地下2階の延べ約1万800平方メートル。花こう岩を使った高級感ある内装で、白いタイル張りの建物は「白亜の殿堂」と呼ばれた。原爆投下で外壁を残し全壊。46年1月に営業を一部再開したが資料の多くは失われた。

 福屋の上田知宏取締役(51)は「従業員も知らなかった建物の姿を見て感動している。耐震化を進め、できる限り長く活用する」と決意を新たにする。

(2025年11月2日朝刊掲載)

年別アーカイブ