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峠三吉 にじむ思索 直筆ノートや原稿139点 原爆資料館に 肺手術直前の「絶筆」も

 「原爆詩集」で知られる詩人峠三吉(1917~53年)の直筆ノートや原稿、はがきなどの資料139点が、新たに広島市に寄託された。戦前から戦後にかけての日記や詩稿が含まれ、今後研究が進めば、叙情的な詩を好んだ峠が「原爆詩人」となる過程にも迫れそうだ。市は中区の原爆資料館で保管する。(仁科裕成)

 遺族と関係者が共産党中央委員会(東京)に寄贈し、保管されてきた資料。2016年、原爆被災の瞬間などを記した日記2冊が先んじて寄託され、今回は残りの全資料が先月末までに資料館に入った。

 「新しき前進」と1ページ目に記されたノートは、1953年2月21日から3月9日までの日記帳。当時の国立広島療養所(東広島市)に入院していた峠は翌10日未明、肺葉切除手術中に36歳で亡くなる。「どのような苦痛にも耐えられる自信あり。あと一時間位で手術に入るだろう」と最後に書き込んでいる。

 戦前の30年代に書かれた詩集ノートや自画像、47年に結婚した妻和子さんからの手紙などもある。占領下での反核運動の取り締まりを意識したとみられる、「空白」のある日記も目を引く。

 広島文学資料保全の会(中区)が同委員会に寄託を打診し、仲立ちした。土屋時子代表は「細かく記述された日記からは、きちょうめんな性格が伝わってくる。資料が広島に戻った意義は大きい」と話した。

(2025年11月5日朝刊掲載)

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