[被爆80年] 母の被爆体験 生徒に伝承 広島の沖西さん 益田の中西中で講話
25年11月6日
益田市白上町の中西中で5日、広島市被爆体験伝承者で長崎市家族証言者の沖西慶子さん(60)=広島市安佐北区=による講話があった。3年生13人が、原爆の惨禍を伝える沖西さんの言葉に聞き入った。(永井友浩)
沖西さんは、長崎市の派遣事業の一環で同中を訪問。80年前の8月9日、長崎の爆心地から約4キロの自宅で被爆した母素子さん(当時国民学校5年生)から伝え聞いた話を中心に語った。
学徒動員先の工場で被爆した同居のいとこを捜し歩いたこと、遺体は見つからず、焼け跡の灰を持ち帰ってみんなで泣いたこと…。上半身が真っ黒になり、目が飛び出した人が水を求める姿や、学校の校庭で遺体を焼く様子など、当時の光景も伝えた。
被爆2世の沖西さんは、2008年に甲状腺がんを発症するまで「原爆の話は怖くて避けてきた」とも明かした。手術をきっかけに原爆や後遺症について学び直し、伝承活動を始めた経緯を紹介。原爆投下から80年が経過し「被爆者が年々減り、いつかいなくなる日が来る。その意味を考えてほしい」と呼びかけた。
同事業での講師派遣は同中では初めて。六日市中(吉賀町)や津和野中(津和野町)で平和教育に取り組んだ山本悦生教諭の赴任を機に長崎市に依頼した。岡崎羽祢(うね)さん(15)は「今平和に暮らしていることがあらためて幸せだと感じた」と話していた。
(2025年11月6日朝刊掲載)
沖西さんは、長崎市の派遣事業の一環で同中を訪問。80年前の8月9日、長崎の爆心地から約4キロの自宅で被爆した母素子さん(当時国民学校5年生)から伝え聞いた話を中心に語った。
学徒動員先の工場で被爆した同居のいとこを捜し歩いたこと、遺体は見つからず、焼け跡の灰を持ち帰ってみんなで泣いたこと…。上半身が真っ黒になり、目が飛び出した人が水を求める姿や、学校の校庭で遺体を焼く様子など、当時の光景も伝えた。
被爆2世の沖西さんは、2008年に甲状腺がんを発症するまで「原爆の話は怖くて避けてきた」とも明かした。手術をきっかけに原爆や後遺症について学び直し、伝承活動を始めた経緯を紹介。原爆投下から80年が経過し「被爆者が年々減り、いつかいなくなる日が来る。その意味を考えてほしい」と呼びかけた。
同事業での講師派遣は同中では初めて。六日市中(吉賀町)や津和野中(津和野町)で平和教育に取り組んだ山本悦生教諭の赴任を機に長崎市に依頼した。岡崎羽祢(うね)さん(15)は「今平和に暮らしていることがあらためて幸せだと感じた」と話していた。
(2025年11月6日朝刊掲載)








