[被爆80年] 弟失い母不明…朝鮮戦争も目撃 原爆孤児の苦難語る 袋町国民学校で被爆 友田さん母校で
25年11月7日
袋町国民学校(現広島市中区の袋町小)で被爆し、原爆孤児となった友田典弘(つねひろ)さん(89)=大阪府=が6日、母校を訪れ、児童に体験を語った。一緒に通っていた弟を奪われた悲しみや、戦後に知人と渡った朝鮮半島での苦難を振り返った。
友田さんは4年生の時に爆心地から460メートルの校舎の地下で被爆。階段を上がり、弟が倒れているのを見つけたが、手の施しようがなかったという。「ごめんね、ごめんねと言いながら逃げた」。近くの川に無数の遺体が浮いていたことも証言した。
自宅にいたはずの母親は見つからず、独りに。知人に付いて、今の韓国へ渡った。日本の植民地支配から解放された直後で、周囲からは「帰れ、と言われた」。1950年に始まった朝鮮戦争に巻き込まれ、銃撃戦を目撃したことにも触れた。
母校で後輩に証言するのは4年ぶり。弟のことを語りながら言葉を詰まらせる場面もあり、5、6年生約80人が聞き入った。6年今岡葵馨(あいか)さん(12)は「80年たっても心に深い傷を残す原爆のひどさが分かった。被害の記憶が風化しないよう伝えていきたい」と話した。(下高充生)
(2025年11月7日朝刊掲載)
友田さんは4年生の時に爆心地から460メートルの校舎の地下で被爆。階段を上がり、弟が倒れているのを見つけたが、手の施しようがなかったという。「ごめんね、ごめんねと言いながら逃げた」。近くの川に無数の遺体が浮いていたことも証言した。
自宅にいたはずの母親は見つからず、独りに。知人に付いて、今の韓国へ渡った。日本の植民地支配から解放された直後で、周囲からは「帰れ、と言われた」。1950年に始まった朝鮮戦争に巻き込まれ、銃撃戦を目撃したことにも触れた。
母校で後輩に証言するのは4年ぶり。弟のことを語りながら言葉を詰まらせる場面もあり、5、6年生約80人が聞き入った。6年今岡葵馨(あいか)さん(12)は「80年たっても心に深い傷を残す原爆のひどさが分かった。被害の記憶が風化しないよう伝えていきたい」と話した。(下高充生)
(2025年11月7日朝刊掲載)








