[戦後80年] 「回天」の搭乗員を追悼 周南で式 継承 平和かみしめる
25年11月11日
旧日本海軍の特攻兵器「回天」の搭乗員たちの追悼式が9日、訓練基地が全国で最初に設けられた周南市の大津島で営まれた。終戦から80年を迎えた今年の式典には約150人が参列。若者が命を落とした史実に向き合い、継承する大切さと平和の尊さをかみしめた。
回天記念館そばの慰霊碑前であり、遺族たちが献花した。回天を載せて出撃した潜水艦「伊58」元乗組員の清積勲四郎さん(97)=愛媛県松前町=が出席し、元搭乗員たちがつくった全国回天会の初代会長小灘利春さん(呉市出身、2006年に83歳で死去)の次女阪本直子さん(69)=神奈川県鎌倉市=も初めて臨んだ。
回天は敵艦への体当たりを狙う兵器。搭乗員の多くは20歳前後で、整備員を含めた死者は145人に上る。訓練基地は山口県の光市と平生町、大分県日出町にも置かれた。回天顕彰会(周南市)の原田茂会長(87)は「平和の大切さを伝えるためにも追悼式を続けたい」と話した。(井上龍太郎)
周南市の大津島で9日に営まれた特攻兵器「回天」の追悼式。終戦から80年たって戦禍を知る人が減り、継承の在り方が問われる中、参列者は後世に伝え、平和を守り続ける決意を世代を越えて共有した。
県内外から約150人が参列。回天の搭乗員だった故小灘利春さんの娘2人が遺族を代表してあいさつした。出撃の機会なく終戦を迎えた小灘さんは戦後、多くの手記を執筆した。神奈川県鎌倉市の次女阪本直子さん(69)は「国を守った若者たちがいたことを伝えていく責務が私たちにはあると思う」と語りかけた。
中高生もスピーチをした。高森みどり中3年須田青慈(せいじ)さん(15)=周南市=は「戦争をしてはならないとの強い意志を持つ。一人一人が実行すれば大きな声となる」と強調。徳山高2年浅野紗希(さき)さん(17)=同市=は「平和の形は国によって違う。学んで初めて平和な世界を築ける」と力を込めた。
回天搭載の潜水艦で従兵だった清積勲四郎さん(97)=愛媛県松前町=は腰痛をこらえて訪れた。「以前、回天を知らない人に会い、悲しかった。みんなに回天を知ってほしい」と願っていた。(井上龍太郎)
(2025年11月11日朝刊掲載)
回天記念館そばの慰霊碑前であり、遺族たちが献花した。回天を載せて出撃した潜水艦「伊58」元乗組員の清積勲四郎さん(97)=愛媛県松前町=が出席し、元搭乗員たちがつくった全国回天会の初代会長小灘利春さん(呉市出身、2006年に83歳で死去)の次女阪本直子さん(69)=神奈川県鎌倉市=も初めて臨んだ。
回天は敵艦への体当たりを狙う兵器。搭乗員の多くは20歳前後で、整備員を含めた死者は145人に上る。訓練基地は山口県の光市と平生町、大分県日出町にも置かれた。回天顕彰会(周南市)の原田茂会長(87)は「平和の大切さを伝えるためにも追悼式を続けたい」と話した。(井上龍太郎)
世代超え「伝える」 遺族・中高生 それぞれが思い 「回天」追悼式
周南市の大津島で9日に営まれた特攻兵器「回天」の追悼式。終戦から80年たって戦禍を知る人が減り、継承の在り方が問われる中、参列者は後世に伝え、平和を守り続ける決意を世代を越えて共有した。
県内外から約150人が参列。回天の搭乗員だった故小灘利春さんの娘2人が遺族を代表してあいさつした。出撃の機会なく終戦を迎えた小灘さんは戦後、多くの手記を執筆した。神奈川県鎌倉市の次女阪本直子さん(69)は「国を守った若者たちがいたことを伝えていく責務が私たちにはあると思う」と語りかけた。
中高生もスピーチをした。高森みどり中3年須田青慈(せいじ)さん(15)=周南市=は「戦争をしてはならないとの強い意志を持つ。一人一人が実行すれば大きな声となる」と強調。徳山高2年浅野紗希(さき)さん(17)=同市=は「平和の形は国によって違う。学んで初めて平和な世界を築ける」と力を込めた。
回天搭載の潜水艦で従兵だった清積勲四郎さん(97)=愛媛県松前町=は腰痛をこらえて訪れた。「以前、回天を知らない人に会い、悲しかった。みんなに回天を知ってほしい」と願っていた。(井上龍太郎)
(2025年11月11日朝刊掲載)








