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[知っとる? ヒロシマ調べ隊] Q 被爆直後どれくらい暗くなった?

爆心地から2キロ内は「日食時程度」

 「げんしばくだんがおちると/ひるがよるになって/人はおばけになる」。峠三吉たちが編んだ詩集「原子雲の下より」にある小学生の作品です。原爆の爆発で生じた火球によってできた雲が広島市上空を覆い、爆風で倒壊した家屋などから大量のちりやほこりが舞い上がったことで太陽光をさえぎりました。実際はどれくらいの暗さだったのでしょうか。

 被爆者の手記を引いてみます。爆心地から約170メートルの燃料会館(現レストハウス)の地下室にいた野村英三さんは屋外に出たときを「半月位(はんげつくらい)の明るさ」と記します。爆心地から約1キロの広島城で被爆した松尾公三さんはさく裂から数分後を「光一つない暗黒の世界」、しばらくすると「だんだんと明るさが帰ってきた」とつづりました。

 他にも「ほこりをかぶった古い油絵のように、変に白っぽく、くすんでいる」(現在の東区牛田早稲田付近で被爆した人の手記)などがあります。場所や時間が異なるため単純な比較はできませんが、明るさの程度に差があるようです。

 被爆2年後の1947年、広島管区気象台(現広島地方気象台)は爆心地から2キロ以内は「夕闇乃至日蝕(ないしにっしょく)時程度の暗さ」と資料にまとめています。日食を体験したことはありませんが、近くにいる人の表情がようやく分かるレベルでしょうか。再び明るくなるまでには「5~30分くらいも要した」とあります。

 気象台には、肉眼で水平方向に見通せる距離を0~9の10段階で表した「視程」の記録も残っています。爆心地から約3・7キロの江波山(現中区)で1時間ごとに東西南北を観測していました。

 通常は同じ時間帯の4方角はほとんど変わりませんが、8月6日は爆心地がある北方向だけ最大4段階の差がありました。例えば被爆約3時間後の午前11時、南方向に最大50キロ(現在の山口県周防大島町付近)まで見えるとき、北方向は最大2キロ(現在の舟入市民病院付近)。かなり視界が悪かったと分かります。

 同じ場所で被爆していても「真っ暗」「うす暗い」と異なる証言もありました。その理由について、被爆体験の心理的な影響に詳しい広島大大学院の上手由香准教授は「人は極度の恐怖を感じると、より強調して記憶することがある」と説明します。「夜」「真っ暗」といった表現には、突如として一変した世界に身を置かれた衝撃がにじんでいます。(桧山菜摘)

(2025年11月11日朝刊掲載)

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