原民喜「碑銘」直筆メモ 広島県府中町の遺族宅に 命吹き込んだ絶唱
25年11月13日
被爆作家原民喜(1905~51年)が45歳で自殺する直前に発表した詩「碑銘」の直筆メモが、広島県府中町の遺族宅で保管されていた。原爆ドームのそばに立つ詩碑にもこの詩が刻まれている。今月15日は生誕120年の節目。専門家は「民喜の思いを凝縮した絶唱。作品を見直す契機となる」と説く。(桑島美帆)
「遠き日の石に刻み 砂に影おち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻」と書かれた一片の詩。民喜が詩誌「歴程」の51年2月号で発表し、直後の3月13日夜、東京で鉄道自殺を遂げた。
直筆メモは、縦15・5センチ、横7・2センチの手紙の裏にペンで力強く書かれ、被爆の惨状を描いた民喜の代表作「夏の花」(49年)の初版本に張られていた。民喜の末弟で、ベルリンオリンピック(36年)のホッケー日本代表だった村岡敏さん(73年に57歳で死去)の長女、細井明子さん(72)が自宅で保管していた。
筆跡を鑑定した広島大名誉教授の岩崎文人さん(81)は「原爆の恐ろしさとともに、不安を抱えていた彼自身の心象風景が凝縮されている」と説明。民喜は、知人や家族に宛てた17通の遺書のうち、作家遠藤周作と佐藤春夫宛ての末尾にこの詩を添えた。世に出ている詩だが、このメモの存在はごく一部でしか知られてこなかった。
民喜の遺品などを所蔵する日本近代文学館(東京)の前理事長で早稲田大名誉教授の中島国彦さん(79)は「言葉を選び、自分の命を吹き込んだ民喜の絶唱。生誕120年を機に光を当てるべき貴重なメモだ」と語る。細井さんは、民喜の書簡や写真など約20点を両親から引き継いでおり「広島に文学館ができれば、いずれは寄託か寄贈を考えたい」と話している。
(2025年11月13日朝刊掲載)
「遠き日の石に刻み 砂に影おち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻」と書かれた一片の詩。民喜が詩誌「歴程」の51年2月号で発表し、直後の3月13日夜、東京で鉄道自殺を遂げた。
直筆メモは、縦15・5センチ、横7・2センチの手紙の裏にペンで力強く書かれ、被爆の惨状を描いた民喜の代表作「夏の花」(49年)の初版本に張られていた。民喜の末弟で、ベルリンオリンピック(36年)のホッケー日本代表だった村岡敏さん(73年に57歳で死去)の長女、細井明子さん(72)が自宅で保管していた。
筆跡を鑑定した広島大名誉教授の岩崎文人さん(81)は「原爆の恐ろしさとともに、不安を抱えていた彼自身の心象風景が凝縮されている」と説明。民喜は、知人や家族に宛てた17通の遺書のうち、作家遠藤周作と佐藤春夫宛ての末尾にこの詩を添えた。世に出ている詩だが、このメモの存在はごく一部でしか知られてこなかった。
民喜の遺品などを所蔵する日本近代文学館(東京)の前理事長で早稲田大名誉教授の中島国彦さん(79)は「言葉を選び、自分の命を吹き込んだ民喜の絶唱。生誕120年を機に光を当てるべき貴重なメモだ」と語る。細井さんは、民喜の書簡や写真など約20点を両親から引き継いでおり「広島に文学館ができれば、いずれは寄託か寄贈を考えたい」と話している。
(2025年11月13日朝刊掲載)








